二〇世紀ひみつ基地

♪ふり向かないで秋田の人

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昭和四十五年(1970)、「ライオン」がエメロン・クリームリンスを発売し大ヒット。そのヒットの要因に斬新なドキュメンタリータッチのCMがあった。ライオン・エメロンクリームリンス「ふりむき」1971音楽・小林亜星歌・ハニーナイツインタビュアー・船山喜久弥「♪ふり向かないで~」の歌をバックに、街頭で見つけたきれいな髪をした女性の後ろ姿をカメラが追い、最後にインタビュアーが『ちょっとすみません。エメロンクリーム...

士魂商才の人・木内トモ・木内デパート社長

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▲文章は、木内百貨店社内報『雪だるま』(昭和二十三年)から引用 上掲文は大東亜戦争終戦後の物質欠乏と道徳の低下がいちじるしき時代、木内百貨店社長・木内トモが若き社員たちへ送ったメッセージ。 企業の良心とか企業倫理という言葉が、もはや死語になったかのような現代にあって、トモの厳しくも温かき言の葉は時代を越えて心に響き身にしみ入る。 明治生まれの女傑・トモの座右の銘は「士魂商才」。それは「利より義を、...

木内デパートのおばあちゃん社長

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子どものころ木内デパートに行くと、あの名物おばあちゃんの姿をよく見かけたものだ。 小さな商店をさまざまな困難を乗り越えて、秋田を代表するデパートにまで育てあげ、社員からは母と慕われたおばあちゃんのスタイルは、着古した着物にすり減った草履、知らない人が見たら誰もこの人物が社長だとは気づかなかっただろう。しかし、その姿からは、なにか凛とした気品のようなものが漂っていた。 木内トモは、明治二十年(1887)...

街に電燈が灯った日

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秋田市に初めて電燈が灯ったのは、明治三十四年十一月、電線が引かれたのは当初、土崎湊新柳町(花柳界新地)、旧秋田市内の通町、茶町通り、大町通り、川反通りとその周辺で、点灯数はわずか七十灯であったという。千秋公園には米国マンハッタン社製アークランプが三本設置された。アークランプは千二百燭光(約1200ワット)という高輝度で、それは、あたかも北斗七星が落ちてきたかのようだ、と当時の新聞は伝えている。秋田の電...

金萬は浅草から…

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調べ物のため、昭和五十九年の魁新報マイクロフイルムを閲覧していたら、「金萬」の企業紹介記事が目にとまった。それによれば、昭和五十五年に逝去した創業者が、東京浅草で繁盛するまんじゅう店にヒントを得て、その機械を購入、当時としては珍しいガラス越しに製造工程を見せて即売する商法がヒットし、現在(昭和五十九年)は一日に二~三万個を生産しているという。浅草のまんじゅう店といえば、新仲見世通りアーケード街、中...

マルシメ鎌田の酒まんじゅう

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駅に降り立ち改札を抜けると、どこからか「酒(さか)まんじゅう」の甘い香りが漂い、秋田に帰ってきたことを実感させた、かつてそんな時代があった。昭和三十五年(1960)新聞広告○〆(マルシメ)鎌田の「酒まんじゅう」は、駅の売店、駅前の鎌田会館、さかのぼると金座街でも販売され、漂う湯気と、ほのかな酒の香りは秋田駅前の風物詩であり、「金萬」と並ぶ手土産の定番だった。たけや製パンの「酒まんじゅう」「酒まんじゅう...