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正月の料亭「あきたくらぶ」川反芸者と左褄
1昭和30年代の撮影とおぼしき、料亭「あきたくらぶ」の玄関を写した写真。 明治10年代創業の「秋田倶楽部」の別館として、厳選された秋田杉をふんだんに使い、大正時代に建設された、秋田を代表する料亭であった「あきたくらぶ」は、平成15(2003)年に倒産。その跡地は今「はなの夢 ホテルグランティア秋田」となっている。 新年の挨拶に訪れたのか、留袖の芸者さんと振袖姿の半玉 (はんぎょく) さん。関西方面では舞妓ともいう...
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雪車の芸者さん・冬の秋田風俗
大正時代の絵葉書からこれからお座敷に出かけるところだろうか、雪車(そり)に乗る川反の芸者さんと、雪駄を手にした印半纏姿の車夫。秋田の人力車夫たちは降雪期になると雪車を押して客を運んだ。これはいわゆる「箱橇」(はこぞり)のことだが、戦前の記録をみると、「雪車」と書いて「そり」と読ませている。家庭用の箱橇と違う点は、乗り込みやすいように前方が開閉式なっており、人力車のように風雪を避ける幌が取り付けられ...
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皇室御用達の宿・アキタニューグランドホテル
1965 書籍広告秋田市における皇族のご宿泊先といえば、長町(中通り五丁目)の「アキタニューグランドホテル」が定番だった。このホテルは昭和36年(1961)の秋田国体に両陛下をお迎えするために、各界の要望で老舗料亭「あきたくらぶ」の敷地内に建てられた、秋田県内初の鉄筋コンクリート仕様の近代的ホテルだった。1981 書籍広告かつては一般庶民の近づきがたいオーラを放つ高級ホテルであり、そこに宿泊することがステータス...
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幻の仁別川の流れを辿る
佐竹氏転封以前、仁別川(旧旭川)の流れは、神明山(千秋公園台地)の西裾をすれすれに流れていた。手形鉄橋付近を起点とし、通町橋から五丁目橋までは直進する現在の旭川の一部は、堀替えによる人工の運河ということになる。久保田城築城と同時に着工し、約十六年の歳月を要したといわれる、初代藩主佐竹義宣による旭川堀替の大工事は、仁別川の流れを堀替えて西方に移して現在の河道とし、川を境に西側を町人の町(外町・トマチ...