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米国からやってきた凄い玉・スーパーボール
昭和41年、少年たちのあいだに“凄いボール”の噂が駆けめぐった。地面に叩きつけた小さなボールが、大きくバウンドして三階建てのビルを軽く超えたとか、とにかく噂の方が先行していて、その現物を手にしたのは、それからしばらくしてからのことだったと思う。カリフォルニアの科学者 ノーマン・スティングレーが発明したゴム製ボールを、玩具メーカー Wham-O社が改良を加え、スーパーボールの名で発売したのが1965年(昭和40年)。...
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江戸風流・紋切型を遊ぶ
折りたたんだ紙にハサミでデタラメに切り込みを入れて開くと、花模様めいた幾何学模様が出現し、さらに折り目を増やして切ると模様は複雑さを増してゆく。子どもの頃、誰もが遊んだ切り紙の面白さは、広げてみるまで結果がわからないこと。広げるまでのときめきと広げた瞬間の驚き。●神仏とともにあった切り紙日本の切り紙は古くから祭祀に用いられてきた。七五三縄(しめなわ)に下げる紙垂(かみしで)、神霊の依代(よりしろ)...
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フラフープでふぅらふら
昭和三十年代、世界的な大ブームを巻き起こしたフラフープ。その名は、輪のなかに体を入れ、フラダンスのように腰をグラインドさせることからきている。フラフープの起源はオーストラリア原住民が遊んでいた木製の輪だという。昭和三十三年(1958)、それにヒントを得たアメリカのおもちゃ会社が、硬質プラスチックのチューブを使い製品化したところ、発売四ヶ月で二千五百万本を売上げる大ヒット。欧米を席巻したフラフープは、そ...
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達三少年のスケート遊び
石川達三が秋田市楢山裏町時代を回想した随筆には、冬の暮らしに関する記述が多い。物心のつき始める三歳から七歳まで秋田市で暮らし、その後は雪の積もらない東京に出ているため、幼いころの雪国での生活はとくに印象深く心に刻まれたのではないだろうか。達三少年たちは、雪道に「氷の道」(スケートリンク)をつくって遊んでいる。 雪道を踏みかためて、私たちは毎日すべっていた。小学校の五年ぐらいになるとスケートをはき、...
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石川達三と冬の落とし穴
ドシアナ(落とし穴)つくりは、子どもの遊びの定番だった。原っぱに数人が集まり、子どもがすっぽり入るくらいの深さに穴を掘り、そこに枝を渡し、その上に新聞紙をのせ、さらに土をかぶせ草を散らしてカモフラージュする。積雪期はカモフラージュもしやすく、つくった自分たちでさえ、その場所が分からなくなるほど。そしてターゲットとなる誰かを呼びだし、仕掛けた穴までうまく誘導して落とすのだが、ともすれば落とし穴をつく...
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雪道には馬橇が走り
昭和三十年一月一日発行の『広報あきた』に、児童生徒に対する冬休みの注意事項が載っている。「冬休みをむかえて」(1)学習励行のため毎日きめられた時間前には友だちをさそわない。 (2)道路上の遊びはさけ、自動車、馬そりなどの後には絶対つかないようにする。 (3)スキー遊びは安全な場所でやる。手形山には市営の山小屋が設けられ毎日十時より十七時まで管理人がつとめている。記念館前の坂は雪遊びの場所として車馬の交通止が...