-
八幡神社から「エリアなかいち」まで・広小路公園前角地の百余年
0▼佐竹氏の氏神を八幡山から広小路に遷す大正初期「弥高神社」(旧・八幡神社)社殿の右手(北側)に広小路が東西に延び、鳥居は東を向く。堰が流れる道端(右下)に明治末期に設置された水道共用栓。現在の住所でいえば秋田市中通1丁目4番地、旧・東根小屋町と広小路が交わる丁字路に存在した「弥高(いやたか)神社」である。少し複雑な当神社の歴史をさかのぼると・・・。藩政時代は家老クラスの重臣が居住した中通地区、佐竹氏家...
-
中通一丁目再開発地区盛衰・1970→2012・エリアなかいち
日赤・婦人会館跡地、中通一丁目再開発地区に2012年7月オープンする「エリアなかいち」の、広小路に面するストリートの盛衰を、過去記事の画像もとりまぜてまとめてみた。1970「長崎屋」広告より画像右上は、最上階から千秋公園を展望する「ファミリーレストランすずや」。1971 県民会館の土手より広小路を望む広小路が歩行者天国になった日曜日に撮影。貸ボートが遊ぶ穴門堀の向こう、左から、「長崎屋」「モリタカバン」「イワ...
-
広小路ホコ天時代・70年代初頭
72.05 秋田市広小路・ホコテンにて昭和47年(1972)5月の休日、秋田市広小路・歩行者天国でのスナップ。背景の「秋田セントラルデパート」前に「天津甘栗」の売店がみえる。この売店の左にスタンド形式の小さなラーメン店が隣接していたと思う。東京(銀座・新宿・池袋・浅草)で初めて歩行者天国が実施されたのは昭和45年(1970)年8月。同年の11月3日(文化の日)には、秋田市広小路において第1回歩行者天国が実施され、延...
-
広小路が中心商店街だった時代・1973
73.06 県民会館の土手から昭和48年(1973)6月、日曜日の昼下がり、県民会館の土手から買い物客でにぎわう広小路を望む。貸ボートを浮かべる穴門の堀の向こう、左から「日本生命ビル(カワイ楽器)」「秋田セントラルデパート」「古沢ビルディング(長崎屋)」「盛田かばん」「イワマ靴店」。人通りの絶えることのなかった広小路。今と比べると隔世の感がある。セントラルデパート「セントラルデパート」については前回書いたの...
-
植木市とセントラルデパート・1972
八橋運動公園恒例の植木まつり(植木市)の季節である。植木まつりが始まった昭和30年代からずっと、千秋公園入り口の中土橋が会場だったが、秋田中央道路(地下道)の工事で八橋に移転、工事完了後も中土橋に帰ることはなかった。中土橋に所狭しと展示して開かれる植木市は、新緑まぶしき千秋公園の歴史的風景と相まって、おもむきのある五月の風物詩であった。八橋公園内の会場は広く駐車の便も良いが、中土橋のような情緒がない...
-
川反にサーキット場があった時代
英国で生まれ、米国で爆発的大ブームをおこした、コースに刻まれた溝=スロットに沿って、モーター動力のモデルカーを走行させる、スロットレーシングが日本でブームとなったのは、昭和四十年(1965)。玩具・模型メーカーがこぞってスロットカーを販売しはじめ、全国のゲームセンターやボウリング場などの娯楽施設に、次々に専用サーキット場がオープン、四十年の末には秋田市にもコースが開設された。マルサンプラモデル昭和四十...