二〇世紀ひみつ基地

  1. 土手長町官庁街の中心地・秋田県庁舎

    明治四年の廃藩置県で秋田県が誕生、久保田城(現・千秋公園)本丸御殿をそのまま使用して、明治五年に開庁した県庁は数カ所を移転後、明治十三年、南秋田郡土手長町中丁に擬洋風建築の新庁舎を落成、同年四月十七日開庁。二丁目橋と秋田県庁舎・明治十三年開庁欧米の建築を日本の職人たちが見よう見まねで造った、明治初期の建築物を「擬洋風建築」という。擬い物(まがいもの)であるため「擬洋風建築」と名づけられた。敷地約六...

  2. 茶町の老舗・三傳

    三浦傳六商店・茶町菊ノ丁明治末から大正期の撮影と思われる、旧茶町菊ノ丁、現在の大町二丁目、ニューシティービル裏の一角に存在した、秋田の典型的な切妻の町家「三傳本店」。破風下の三段化粧梁、二階左手に施された「うだつ」が、ひときわ眼を惹く立派な造りで、屋根には防火のための天水瓶が上がっている。弘化四年(1847)、茶町菊ノ丁に茶紙荒物商として創業。現在は新屋に本拠を移し、総合商社として営業をつづけている。...

  3. タウトの観た秋田市・茶町菊ノ町・上肴町

    建築家・ブルーノ・タウトが昭和十年五月に秋田市を訪れ、版画家・勝平得之の案内で市内の建築物を見て回った際、タウトの助手を務めていた上野伊三郎が撮影した写真の一部が、タウトの著書『Houses and People of Japan』(日本の家屋と生活)に記録されている。Fig. 149 A Merchant House at Akita『Houses and People of Japan』(1937・初版) よりニューシティビルの裏にあたる茶町菊ノ丁から上肴町を望んでいる。手前の「片屋...

  4. 醤油の「田中屋」とライブハウス「田中屋」のこと

    大町三丁目「田中屋」大正期か?秋田市大町三丁目にあった「田中屋」は、元禄五年(1692)創業という歴史のある老舗の醤油醸造販売店で、醤油のほかに味噌、酢、漬物なども製造し、戦前は県内を始め東京、青森、北海道、朝鮮までも販路を広げていた。創業時の建物は明治十九年の俵屋大火で焼失したが、じきに旧状に復元。秋田の町家の特徴である切妻屋根をかけた妻入の町家は、今ならば間違いなく文化財クラスの保存対象建築である...

  5. 旧金子家住宅・町家

    秋田市大町一丁目切妻・妻入り造り市有形文化財江戸時代のメインストリートである羽州街道に沿い、商業の中心地であった大町に残る町家・金子家は、安政元年(1854)に質屋兼古着屋を始め、明治四年(1871)に呉服卸売商を創業して以来、昭和五十七年(1982)までこの地で呉服商を営んできた。主家は明治十九年(1886)の俵屋火事で土蔵を残して焼失、再建は明治二十年頃と言われている。平成八年(1996)秋田市に売却され、九年に...

  6. タウトの宿・旧金谷旅館

    旧金谷旅館秋田市保戸野通町「高砂堂」裏、旭川沿い。開業は明治期。旅館は廃業し所有者も変わった。日本を愛し日本美を世界に紹介したドイツ人建築家・ブルーノ・タウト。昭和十年五月、秋田駅に降り立ったタウトと日本人助手は、駅長の薦めで当時市内では一番有名だった「石橋旅館」に宿泊するが、豪華絢爛な日光東照宮を嫌い、簡素な桂離宮を好んだタウトは、この旅館を「大名風ではあるが、やはり垢抜けのしないイカモノだ」と...