1. 塩田から風力発電まで・新屋浜変遷

    09.12季節ハタハタの獲れる時期となった12月初旬、旧下肴町(しもさかなまち・現大町五丁目)に店を構えるカニ屋の店頭に積まれていた北浦産ハタハタの魚箱。●漁場でありレジャースポットだった新屋浜大正3年の新聞に、秋田市の新屋浜でハタハタの大漁があり、上肴町および下肴町の魚市場がにぎわいをみせたとの記事がある。◎鰰大漁一昨日より昨朝にかけ新屋濱にて近年珍しき大漁ありて濱相場は一駄二千五百尾にて一圓三十錢位な...

  2. はんこ屋の古看板・上肴町で幾星霜

    旧上肴町(現・秋田市大町一丁目)にあって、今では町内で最も永い歴史を有する店舗となった「近江印店」。明治中期の創業で、その初期は近江廣明堂という版木屋だったという。版木屋とは和本を印刷するための木版を彫る職人のこと。明治の始めにベストセラーとなった世界地誌書『輿地誌略』の版木と印刷物大正から昭和にかけての建築と思われる店舗に掲げられた、時代を経て風格のある自家製“掛け看板”の片面は、浮彫りで「彫刻所...

  3. 池永小路の闇にタヌキを見る

    昨日の夜8時頃、池永小路(秋田市中通5丁目)を散歩していると、側溝のあたりをなにやら小動物がうごめいている。猫かと思って声をかけるが反応もなく、よく見ると子犬のようでもある。逃げ込んだ駐車場の暗闇を凝視しつづけ目が慣れると、こんな街中にまさかとは思ったが、そいつは紛れもないタヌキの子どもであった。08.08.17 07:53:43 PM市の中心部でタヌキを見つけたのは、もう7年ほど前の夜中、寺町の寺の門前にちょこんと...

  4. 肴町に魚屋はなく年の暮れ

    2004藩政期は魚商売の家督町で、昭和五十年、外旭川に中央卸売市場ができるまで、十軒ほどの魚問屋が軒を並べていた上肴町(かみさかなまち)に一軒だけ残っていた、安政年間の創業という歴史ある魚問屋・加賀喜商店。新聞広告 昭和四年上肴町という地名が消えて久しく、旧地名の由来を今に伝えていた魚問屋も、この七月初旬に解体され、なじみ深い銅製切抜き文字の看板とともに消えてしまった。2007.11跡地では山王から移転した...

  5. 秋田市上肴町・魚市場

    上肴町・魚市場 大正末頃通町と上肴町界隈は秋田市の商業の中心地であった。通町側から今の「仏壇の升谷」のあたりまで魚問屋が両側に並び、店の前面にはアーケードの様に、コミセ(ヒサシ)が設置され、日差しや雨雪を防いでいる。上肴町の米屋に明治二十八年に生まれ、幼少期を過ごした文化人・鷲尾よし子は、幼いころの記憶を書き残している。馬から降ろされた大籠(十貫も入る長方形)から、貝焼皿で五匹づゝ計られるブリコハ...