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千秋公園でスケート競技大会・昭和初期映像発掘
3▼秋田の競技スケート発祥地・千秋公園スケートリンク 明治42(1909)年2月、長野県上諏訪町の南信日日新聞社が主催して開催された「諏訪湖一周氷滑大会」が、日本におけるスケート競技大会の起源とされる。 この大会で使われた用具は、地元の鍛冶職人が製造した、歯の無い下駄の底に鉄製ブレードを付けた和洋折衷ハイブリッドな下駄スケート。 足袋に下駄スケートをはき、木綿で平らに編んだ真田紐(さなだひも)で、足と下駄を...
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「袋小路のイチョウ」と「濯纓楼」跡・金照寺山麓
▼保存樹「袋小路のイチョウ」 秋田市楢山大元町の奥羽本線(秋田新幹線)鉄橋方向から、金照寺山北麓を流れる太平川沿いの土手を川下(西)に向かって進むと、やがて右手にイチョウの大木が姿を現す。 2013.11 旧町名・楢山字楢山、俗称を「袋小路」というこの地は、土手の突き当たりが羽越本線鉄橋で行き止まりのため、散歩する人もめったに入らず閑散としている。 2013.11 「袋小路のイチョウ」秋田市楢山大元町・鈴木家地...
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城下の面影「遺愛の松」名木残影
2013.05 秋田市南通亀の町「遺愛の松」跡 しばらく見ない間に、亀の町の名木「遺愛の松」が、跡形もなく消えていた。 昭和47年(1972)吉田直也 『秋田市の木と林と森』より 昭和49年(1974)秋田市指定保存樹 第15号クロマツ「遺愛の松」推定樹齢400年(保存樹指定時点) 由緒 藩祖佐竹義宣公が常陸(ひたち)の国より国替えの折りに携えてきた鉢植えの松である説や、藩士小助川某が大阪城夏の陣の際、記念に植えられたも...
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ケヤキの大木を惜しむ・寺町定点観察
2009.05「秋田音頭」発祥の地といわれ、久保田城の裏門を山門として移築したことで知られる寺町の曹洞宗・鱗勝院は昨年(2010)、無粋なブロック塀を古風な板塀に改修、古刹にふさわしい景観がよみがえった。2010.06板塀に改修したのは良かったが、工事の支障になったためか、境内の塀際に存在した樹齢100年はあろうかと思われるケヤキの大木が伐採されたのが惜しまれる。2006.072010.04_________関連記事二〇世紀ひみつ基地 殺さ...
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消えたケヤキ・川反定点観察
2005.02旭川に架かる三丁目橋より二丁目橋(北)を望む。二丁目橋手前の樹齢140年ほどのケヤキ並木は那波家の防火林、その下に那波家の水汲み場。2007.11那波家のケヤキ並木の手前(南側)に樹齢100年前後と思われるケヤキと樹種不明の広葉樹が、往時の旭川の風情を偲ぶように存在したが、つい先日(2011年9月初旬)通りかかったら、それらの樹木は根元だけ残して、きれいさっぱりと伐採されていた。2011.092011.052011.092011.09...
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大門の玉椿あり黄金谷・新屋名物
●黄金谷という伝説の地名旧街道沿いに位置する秋田市新屋表町、惜しくも廃業した「黄金井酒造」周辺の旧地名を「黄金谷(こがねだに)」という。その地名は、蝦夷掃討のため新屋に立ち寄った坂上田村麻呂が、持参した黄金をこの地に埋めたという伝説をもとに命名したとされ、「黄金井酒造」の店名もこの地名にあやかったものであった。旧「黄金谷」の周辺は醸造に適した良質な地下水が豊富に湧き、古くからそれを利用した醸造業者が...