1. ホントは怖い与次郎稲荷伝説・エリアなかいち

    ▼与次郎のキャラ化にたまげる 秋田市中通一丁目地区(日赤・婦人会館跡地)市街地再開発事業「エリアなかいち」のオープンにあたり、昨年(2012)7月にマスコッ卜・キャラクタ一に就任した、飛脚の白狐 ・与次郎。 やけに眼光鋭く、とげとげしい表情は、与次郎の“恐ろしい祟り神”としての一面を表しているかのようで、どうも親しみを持てない。 以下に記すような、“内に深い闇を秘めた伝説の主人公”である与次郎を公共施設の...

  2. 勝平得之『千秋公園八景』シリーズまとめ

    検索キーワード「千秋公園八景」でアクセスする訪問者が、この数日チラホラとみられたので調べてみたら、「あきたアートプロジェクト」という団体が、この(2011年)8月7日、勝平得之が70年前に発表したシリーズ「千秋公園八景」を現在の「まちなか」に探し出すフィールドワークを行うとのこと。 県民参加型のワークショップやフィールドワークなどを開くオープンキャンパス「あきたまちなか大学」が8月7日、開校する。‥‥中略‥‥...

  3. 四丁目橋に夜のとばりが落ちる頃

    勝平得之『四丁目橋夕景』昭和初期空の青さと夕陽の赤紫色が共演する夕刻のひととき、写真用語でいうマジックタイムの、土手長町通りから見た四丁目橋界隈。紺色に染まる光景のなか、人力車が客待ちする橋のたもとの建物から長く伸びる電灯の陰を、人影と重ねて描く演出が印象的。得之の初期作品に特有の、ジオラマのなかの風景のような、どこかノスタルジアを感じさせる版画作品である。橋の向こう、川反五丁目の角に建つ半円アー...

  4. 本丸に旗はためきて明日の空・気象信号標

    千秋公園本丸に鎮座する秋田八幡神社の裏、霊泉台の台地に残る三角形のコンクリート土台。切断された鉄柱の痕跡が残るこの土台の上に、「気象信号標」のヤグラが建ち、天気予報の旗がハタハタとはためいていたのは戦前のこと。勝平得之の版画に、その信号標が描かれた作品がある。勝平得之『千秋公園八景・蛇柳夜景』昭和十年広小路から“穴門の堀”越しに千秋公園を望む風景の右上方、こんもりとした高台に描かれた三角形の旗が、霊...

  5. 内堀と鐘つき堂のある風景

    勝平得之『千秋公園八景・雨の内濠』昭和十二年県民会館の裏に残る千秋公園の内堀と、その上の鐘楼。内堀の水面は鷹匠町方面へつづき、柳越しに土手長町の火の見櫓がみえる。水上を這うように伸びる松は今も健在。久保田城の時鐘の歴史をひもとくと、寛永十六年(1639)、第二代藩主・佐竹義隆が、二の丸の東側、現在の佐竹資料館の裏付近に設置したのが最初で、明治の廃藩後、寺町、土手長町と移転した鐘楼は、明治二十五年、再び...

  6. 黄昏の街懐かしき鐘の音

    勝平得之 秋田十二景「鐘樓餘景」昭和四年鷹匠町の「鷹の松」越しに、外堀と千秋公園を望む。公園の高台に夕陽を浴びて建つ鐘楼と家並み。鐘楼の高台と対峙するように、手前に配置した「鷹の松」が作品に奥行きを添える。実際の鐘楼は「鷹の松」の延長線上よりも南に位置するため、この位置から「鷹の松」越しに鐘楼は見えず、その下につらなる家並みも実際の風景ではないが、そのまま写生したのでは“絵にならない”ため、勝平はそ...