1. 看板の落ちて師走の旭川・出来すぎた偶然

    2010.12新屋の風力発電用風車の羽根が折れた12月初旬の荒天の際に破壊されたのか、秋田市大町を流れる旭川に「洋服の菅新」の看板が落下していた。明治30年創業という老舗、オーダーメイド紳士・婦人服の「菅新洋服店」はもともと、すぐそばの「秋田名店街」一階で営業していて、「本金デパート」と「秋田名店街」が大町再開発で取り壊されたとき、一丁目橋たもとの居酒屋「あみもと」向かいに建つ「旧・竹内スポーツ店」ビルに移...

  2. 秋田広小路モノレール計画・昭和30年代

    トッパンの愛児えほん『はしれのりもの』(昭和30年代発行)より昭和41年の市電(秋田市営電車)廃止を前にした昭和39年(1964)、市電に変わる交通網として、秋田市内のデパート業界間でモノレールを導入する計画が持ちあがった。「協働社ビル」の浅利社長と「新秋田ビル」の北林社長が中心となって構想した計画は、秋田駅二階のステーションデパート・木内・協働社・新秋田ビル・本金のそれぞれの屋上をモノレールで結び、駅前か...

  3. 立体音楽堂・カーネギーホール

    かつて名曲喫茶の時代があった。東京の繁華街に名曲喫茶が雨後の筍のように誕生したのは、長時間連続演奏が可能なLPレコードが流通しはじめた終戦間もないころ。荒廃の傷跡が残る街の片隅で、名曲喫茶は音楽に飢えた人々に、音と香りによる安らぎの時空間を提供した。その当時、レコードは非常に高価で数も少なく、それを再生する音響装置は庶民に手の届くものではなかったが、名曲喫茶に行けば一杯のコーヒーで何時間でもクラシッ...

  4. お家も見えるよ「本金タワー」

    昭和四十年(1965)本金デパートのタワーは、先行した木内デパートの展望塔よりも高く築き、その展望の良さを誇ったのだと、この広告から想像できる。木内デパートの展望塔は三階建てだが、天井が低く、店舗部分に換算すると、おおよそ二階建ての高さで、店舗三階+二階で最上部までおよそ五階建てに相当。これでも周囲に高層建築物がなかった時代は大層見晴らしが良かった。対して本金デパートは、最上階の180度ガラス張りの展望...