1. 川反「かっぱ小路」に旧料亭の土蔵出現

    ▲川反「かっぱ小路」今昔(1)戦前編 ▲ 川反「かっぱ小路」2010.12 秋田市大町五丁目、旧町名・秋田市川反(かわばた)五丁目の「かっぱ小路」突き当たり、青地に白抜きの「かっぱ小路」の看板がある建物に、かつて「かっぱ」という名の酒場があった。この店名が「かっぱ小路」の由来。 酒場「かっぱ」の女主人、そして「かっぱ小路」の大家で、  “かっぱの母さん” と慕われた中野ヨ子(よね)さんが亡くなられたのは、今(202...

  2. 歴史的土蔵の小道・感恩講小路

    秋田市・歴史の小路(五)2010.08 「新政酒造」土蔵と猿谷小路川反六丁目から本町通りに抜ける、「新政酒造」の土蔵(旧・秋田感恩講土蔵)に沿って東西に湾曲した小道を「猿谷(さるや)小路」という。その名は川反側の北角(上掲画像右手)で、昭和四十年代頃まで質店を営んでいた旧家の名字にちなんだもの。手前に猿谷質店、小路をはさんで秋田感恩講土蔵と「新政酒造」2005.03 帯谷小路「猿谷小路」の南側が「帯谷(おびや)小...

  3. 歴史遺産「旧秋田感恩講土蔵群」を見る

    ●今、再びあらわになった歴史的土蔵建築2004.03 「新政酒造」貯蔵タンク前2010.08 「新政酒造」貯蔵タンク前大町六丁目に立つ「新政酒造」貯蔵タンクのうち、北側の二本が撤去され、その裏側に隠れていた土蔵の全貌が久々にあらわになった。2010.08 手前にタンクの痕跡この土蔵は北隣の街区公園の地に江戸後期に創設された、窮民・孤児らに救いの手をさしのべ、水害・火災・凶作などの天災に際して被害者を救済しつづけた、日本に...

  4. 旧金子家住宅・町家

    秋田市大町一丁目切妻・妻入り造り市有形文化財江戸時代のメインストリートである羽州街道に沿い、商業の中心地であった大町に残る町家・金子家は、安政元年(1854)に質屋兼古着屋を始め、明治四年(1871)に呉服卸売商を創業して以来、昭和五十七年(1982)までこの地で呉服商を営んできた。主家は明治十九年(1886)の俵屋火事で土蔵を残して焼失、再建は明治二十年頃と言われている。平成八年(1996)秋田市に売却され、九年に...

  5. ジャズスポット「ロンド」

    川反一丁目昭和五十一年(1976)中央通りから現在地に移転。高堂屋酒店の米蔵を改修して再生させたため、当初は酒麹の甘い香りが漂って良い感じだった。はじめは中央通りの木内に通じる小路の東角、郵便局(現・マンション)の二階で営業していた。狭い階段を上ると、薄暗くて眼が馴れるまでは客の顔もよく見えない。ほの赤い照明と会話が聞き取れぬほどの大音量のリズムに身を任せる体験は、あたかも母親の胎内で羊水に揺られて心...

  6. 鏝絵・左官職人の心意気

    鏝絵「波に雲龍」秋田市下北手桜・鈴木家鏝絵(こてえ)とは、左官職人が鏝(コテ)を絵筆として、民家の土蔵の壁や扉、室内の欄間、壁などに、「鯉の滝登り」「鶴亀」「波乗リ兎」「雲龍」「お多福」などの縁起の良い意匠を、漆喰の浮彫りで描き彩色したもので、秋田市内では主に、下北手、太平、豊岩などに残されている。漆喰を使った鏝絵を考案したのは、文化十二年(1815)伊豆松崎に生を受けた入江長八(通称・伊豆の長八)と...