1. 氷水屋と銭湯と・消える昭和

    季節外れな話題だが、秋田市内で営業していた昔ながらの氷水屋が、この数年間に次々と店を閉じた。その主な理由は経営者の高齢化と後継者の不在。 ▲「佐々木商店」2004.07 三皇祭の日 夏期以外は大判焼き・鯛焼きを商う、牛島商店街の「佐々木商店」通称・牛島のババの店。 切妻屋根の町家建築に、かき氷の氷削機および大判焼機による製造工程が外から見える出窓を設けた古典的スタイルの、大正・昭和の風情が色濃く残る店であ...

  2. 秋田の「都まんじゅう」金萬を東京人が喰う滑稽

    キミは秋田銘菓『金萬』を知っているか!? 食べだしたら28個食べるまで止まらない 秋田といえば、キリタンポやあきたこまち、なまはげ、かまくら、稲庭うどん、横手やきそばなどがイメージとして頭に浮かぶ。しかし、真の秋田っ子は別のものが頭に浮かぶ。それが、秋田銘菓『金萬』(きんまん)である。『金萬』は30年以上前から秋田銘菓として存在し、以前から多くの人たちが秋田土産として持ち帰ったといわれている...

  3. 秋田銘菓?「金萬」製造ロボットを見学しよう! 金萬の歴史

    ◆福岡の鉄工所からすべてが始まった以前に書いたように、秋田で「金萬」の商品名で知られる小さな焼きまんじゅうは、さまざまに名を変えて全国各地に分布している。その代表的ネーミングが「都(みやこ)まんじゅう」。秋田銘菓「金萬」の歴史をたどると、東京の「都まんじゅう」を経由して、その自動製菓機とレシピを考案した福岡の城野(きの)鉄工所に行きつく。この小さな鉄工所からすべてが始まった。都まんじゅう(みやこま...

  4. 郷愁のかき氷屋・牛島商店街

    太平川橋より牛島商店街を望む●牛島の商店街秋田市の牛島商店街は江戸初期、参勤交代の街道(羽州街道)として開かれ、それ以来商業の栄えた通りであり、仁井田、雄和の人々は、全ての用をここでまかなったという。牛島の商店街は、生家からいちばん近い町、さまざまな想い出がつまった自分の原風景のひとつ。今は消えてしまったなつかしい店をあげると、貸本屋「牛島文庫」、「鳩文堂書店」、銭湯「三皇の湯」、パン屋「三皇堂」...

  5. 「金萬」から「銀萬」新発売!

    昭和三十五年(1960)の春三月、秋田駅前の金萬から、開店五周年を記念して「金萬」の姉妹菓子「銀萬」が発売された。ここでいう「開店五周年」とは、店名を「金萬」と改めてから五年目という意味だろう。「金萬」の初期の商品名は「金万」であったが、この時代は両方の名称が混在している。美と健康の元・ローヤルゼリーを練り込んで、価格は一個十円。「金萬」のほうは十五円か二十円だろうか。三十年代の半ばといえば、ラーメン...

  6. 金萬は浅草から…

    調べ物のため、昭和五十九年の魁新報マイクロフイルムを閲覧していたら、「金萬」の企業紹介記事が目にとまった。それによれば、昭和五十五年に逝去した創業者が、東京浅草で繁盛するまんじゅう店にヒントを得て、その機械を購入、当時としては珍しいガラス越しに製造工程を見せて即売する商法がヒットし、現在(昭和五十九年)は一日に二~三万個を生産しているという。浅草のまんじゅう店といえば、新仲見世通りアーケード街、中...