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広告で見る「大島商会」店舗の変遷
5▼祝「旧大島商会店舗」移築保存決定記念号 ▲旧大島商会店舗 2010.08 五丁目橋から横町通りを通過し新国道に抜ける都市計画道路・川尻広面線の道路拡幅工事の進展にともない、解体の危機にさらされていた、秋田市大町六丁目の旧「大島商会」店舗が、所有者である菓子舗「高砂堂」の塚本家から秋田市に寄贈され、移築保存されることが決まった。 秋田市下肴町に明治34(1901)年竣工の同店舗は、市内に現存する煉瓦造りの建造物と...
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秋田航空事始め・大正三年の飛行機大会
▼秋田の空を始めて飛行機が飛んだ日 ▲『秋田魁新報』広告 今から約100年前の大正3(1914)年6月、秋田市の空に初めてのエンジン飛行機が飛んだ。 飛行機大会の会場は秋田市亀ノ丁新町(現・南通みその町・南通築地)に広がる「楢山中学校運動場」通称「楢山グラウンド」。明治30年代に県立秋田中学校(現・秋田高校)運動場として整地されたこの地は、野球大会を初めとした各種スポーツのメッカであった。詳しくは次回に。 「秋...
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百七年目の「自転車百哩大競走」復刻版
新聞広告 明治三十五年明治35年9月21日、秋田市下肴町のハイカラ商店・大島商会の主催により開催された、県内初の本格的ロードレースと思われる「自転車百哩(マイル)大競走」から100余年の歳月が流れた、平成21年9月21日の早朝、今も同地に残る旧大島商会の前に一台の自転車の姿があった。車上の人は当ブログの「自転車百哩大競走・大島商会主催」を読んで感銘をうけ、数ヶ月前にそのレースの再現を決意し、この日のために準...
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マイテーとは何か?・大島商会の不思議広告
大正元年の秋、秋田魁新報三面に、「マイテー 何か」という、謎の文面の一段広告が掲載され、それから十四日のあいだ、その不可解な広告が延々とつづく。はたして「マイテー」の正体はいかに。ナポレオンは マイテー人物(マン)大日本帝国は マイテー邦国(カントリー)英京倫敦は マイテー都市(シテー)埃及金字塔は マイテー遺物(ニユメント)日本富士山は マイテー山嶽(マウンテン)さて其の次のマイテーは?最初の掲載か...
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百年目の自転車遠乗会そして百哩大競走
今日の秋田魁新報にこんな記事が載っていた、とのメールに添付されて、六月十一日の朝、この画像が送られてきた。下肴町の大島商会が明治四十二年六月六日の日曜日に開催した、自転車遠乗会のことを「秋田の今昔を紹介するウェブサイト」で知り、この六月六日に、百年前と同じコースで遠乗り(サイクリング)を再現したという。明治の世に遠乗会を企画した大島商会店主・大嶋勘六氏も彼の世から、その姿を目を細めて見守っていたの...
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消えた帽子店・帽子文化の隆盛とその衰退
2004.03秋田市中通三丁目、中央通りの山内歯科ビル隣りで 2006年初夏まで営業していた「吹浦帽子店」。戦前は中央通りの突き当たり、旭川の土手をくずして造成した、勧工場(かんこうば)と呼ばれた連鎖商店街に店舗を構えていたが、昭和20年の強制建物疎開により、勧工場が取り壊され東側に移転。土手長町通り 勧工場 昭和初期右端に「春の新型帽子豊富取揃」の看板が突き出す「吹浦帽子店」、建物の裏は旭川。左手に「秋田物産...