1. 川反「かっぱ小路」と酒場「かっぱ」のこと

    ▲川反「かっぱ小路」今昔(2)戦後編 前回記事「川反「かっぱ小路」に旧料亭の土蔵出現」のつづき。未読の方は是非そちらから。 ‥‥前略‥‥時はさかのぼって昭和10年代後半。大東亜戦争が長期化するなか、芸者置屋と料理屋が軒を連ね、夜ごとのにぎわいをみせていた川反も、次第に客足が遠のき、やがて開店休業状態に落ち入る。 さらに追い打ちをかける事態が起こる。終戦を目前にした昭和20(1945)年7月、空襲による戦災を最...

  2. 何と読む?「難読看板」川反五丁目小路

    ▲2019.04 川反五丁目小路 秋田市大町五丁目の「川反五丁目小路」に残る、廃業して久しいスナックの看板。はたして何と読むのでしょう?その答えは後半で。 このスナックの存在を知らない人には、まず読めない。視認性を重視する看板としては失格だが、仲間内にだけ通じる暗号性・記号性という点において、街角にはびこるグラフィティ(落書き)に通じるものがあり、ラフでスピード感があるタッチも、その系統の匂いがする。 ▲...

  3. 秋田駅前・竜神堂と純喫茶「カカシ」界隈・1970年代初頭

    整理中に出てきた、とのことで頂戴した古いスナップ写真。今回はこの写真を考証するが、なかなか情報量の豊富な一枚であった。 撮影地点は秋田駅前・平和通りの裏側。現在の「フォンテAKITA」(旧イトーヨーカドー秋田店) 北側の大屋根下である。 手前から平和通りに所属するナショナルショップ「中央電気商会」「石川履物店」おもちゃの「ポパイ」洋服の「かめや本店」と並び、「かめや本店」西側の小路を左折すると、伝説的駅前...

  4. 川反「祇園街」残影・消えた小路

    ↑ 川反「祇園街」南地区 2000.05 ↑ 2000.05 ↑ 2003.03 ↑ 2002.04 ↑ 2000.05 ↑ 2003.03 ↑ 2002.04 ↑ 2003.03 ↑ 2003.03 川反五丁目で中華料理店「中華園」を経営していた加藤正氏が、昭和34(1959)年、有限会社「祇園街」を創設、徐々に店舗を拡張し、昭和37(1962)年「祇園街」が完成する。経営者が京都祇園に近い中華料理店で修業していたことから、祇園の華やかさを願って「祇園街」と命名。 ちなみに、川反四丁目にあっ...

  5. 歴史的土蔵の小道・感恩講小路

    秋田市・歴史の小路(五)2010.08 「新政酒造」土蔵と猿谷小路川反六丁目から本町通りに抜ける、「新政酒造」の土蔵(旧・秋田感恩講土蔵)に沿って東西に湾曲した小道を「猿谷(さるや)小路」という。その名は川反側の北角(上掲画像右手)で、昭和四十年代頃まで質店を営んでいた旧家の名字にちなんだもの。手前に猿谷質店、小路をはさんで秋田感恩講土蔵と「新政酒造」2005.03 帯谷小路「猿谷小路」の南側が「帯谷(おびや)小...

  6. 歴史遺産「旧秋田感恩講土蔵群」を見る

    ●今、再びあらわになった歴史的土蔵建築2004.03 「新政酒造」貯蔵タンク前2010.08 「新政酒造」貯蔵タンク前大町六丁目に立つ「新政酒造」貯蔵タンクのうち、北側の二本が撤去され、その裏側に隠れていた土蔵の全貌が久々にあらわになった。2010.08 手前にタンクの痕跡この土蔵は北隣の街区公園の地に江戸後期に創設された、窮民・孤児らに救いの手をさしのべ、水害・火災・凶作などの天災に際して被害者を救済しつづけた、日本に...