1. 鰰の喰い飽き足りて猫の餌

    ハタハタで育った秋田の子どもたちハタハタが年間1万トンから2万トンも捕れた昭和30年代後半から40年代にかけて、季節ハタハタの時期になると連日、ハタハタの木箱を満載した浜直送のトラックが何台も、スピーカーから北島三郎や都はるみの演歌を流しながら秋田市内に行商にやって来た。最初は一箱数百円ほどの値も、捕れすぎると数十円という捨て値でさばかれるようになる。白子ハタハタで一箱30円という下値を記憶している。塩...

  2. 塩田から風力発電まで・新屋浜変遷

    09.12季節ハタハタの獲れる時期となった12月初旬、旧下肴町(しもさかなまち・現大町五丁目)に店を構えるカニ屋の店頭に積まれていた北浦産ハタハタの魚箱。●漁場でありレジャースポットだった新屋浜大正3年の新聞に、秋田市の新屋浜でハタハタの大漁があり、上肴町および下肴町の魚市場がにぎわいをみせたとの記事がある。◎鰰大漁一昨日より昨朝にかけ新屋濱にて近年珍しき大漁ありて濱相場は一駄二千五百尾にて一圓三十錢位な...

  3. 消える昭和・木内デパートの生ジュース

    03.09 木内・仲小路側入口木内デパートの一階奥(仲小路側)は食品売場で、テナントとして地元の有力店のほかに、新宿中村屋、クッキーで有名な泉屋東京、カステラの文明堂、東京榮太楼総本舗などの有名菓子店や、福神漬の酒悦、海苔の山本山などの老舗も入っていて、贈答品を買い求める客などで、いつもにぎわっていた。その一角にあって、フレッシュな生ジュースを提供する、ジューススタンドのことを覚えている方も多いと思う。...

  4. 秋田市通町・青物市場

    羽州街道筋にあり、城下と近郊農村を結ぶ商業のメインストリートであった通町は、早い時期から自然発生的に市が開かれていたというが、文久四年(1864)、上通町、中通町、大工町の三町(現在の通町)が朝市の家督を認められ、名実ともに市の街となって以来、連日、青物市場が開かれ賑わっていた。未明から正午まで、近郊の農家や土崎湊から、野菜・果物・薪・柴などが集まり、路上にムシロを広げて商いをする。雨の日や冬期は、商...

  5. 秋田市上肴町・魚市場

    上肴町・魚市場 大正末頃通町と上肴町界隈は秋田市の商業の中心地であった。通町側から今の「仏壇の升谷」のあたりまで魚問屋が両側に並び、店の前面にはアーケードの様に、コミセ(ヒサシ)が設置され、日差しや雨雪を防いでいる。上肴町の米屋に明治二十八年に生まれ、幼少期を過ごした文化人・鷲尾よし子は、幼いころの記憶を書き残している。馬から降ろされた大籠(十貫も入る長方形)から、貝焼皿で五匹づゝ計られるブリコハ...

  6. 寒天・市民市場

    秋田市民市場、総菜の「川和田商店」の寒天。おせち料理にはかかせない寒天料理。母親の造る寒天は、醤油と椎茸を使い、とき卵を加えたものだった。...