1. 秋田広小路モノレール計画・昭和30年代

    トッパンの愛児えほん『はしれのりもの』(昭和30年代発行)より昭和41年の市電(秋田市営電車)廃止を前にした昭和39年(1964)、市電に変わる交通網として、秋田市内のデパート業界間でモノレールを導入する計画が持ちあがった。「協働社ビル」の浅利社長と「新秋田ビル」の北林社長が中心となって構想した計画は、秋田駅二階のステーションデパート・木内・協働社・新秋田ビル・本金のそれぞれの屋上をモノレールで結び、駅前か...

  2. 見上げた空に本金の残像

    この三月をもって「ほんきん西武」が閉店し、「秋田西武」として新装オープンしたことで、嘉永三年(1626)創業の老舗・本金の名も完全に消えてしまったが、ふと見上げた空に「○に本」の本金のロゴマーク(本間金之助商店の家印)が取り外された跡が、往年の繁栄の残像でもあるかのように残っていた。ここはワシントンホテル(旧本金デパート)の裏にある立体駐車場。かつては本金の駐車場で、今は辻兵が管理する、秋田ニューシテ...

  3. 1983「本金タワー」倒壊

    昭和五十八年(1983)五月二十六日昼過ぎ、秋田県能代西方沖約100kmを震源とするマグニチュード7.7の日本海中部地震発生、秋田市大町二丁目では、本金デパートの名物「本金タワー」が倒壊し屋根を直撃、四階で催事の準備をしていた主婦三人が下敷きになり、一人が帰らぬ人となった。倒壊直後ガラス張りの展望室は潰れ、その上のタワー上部が倒壊し、屋上に増設されたプレハブの屋根を突き破っている。倒壊現場倒壊図本金デパートの...

  4. エレベーターガールと恋と家出

    昭和四十三年(1968)(クリックで拡大)タワー部分の五・六階にゲームコーナーがあるが、階段の踊り場を少し広くしたほどのスペースで、ピンボールやジュークボックスが置かれていた。屋上にはプレハブ造りのゴルフショップとゴルフ練習場ができている。エスカレーターは一階から二階までしかない。---------------------中学校の先輩が本金デパートのエレベーターガールに恋をした。先輩は自分の家のサイドボードに飾られていた...

  5. お家も見えるよ「本金タワー」

    昭和四十年(1965)本金デパートのタワーは、先行した木内デパートの展望塔よりも高く築き、その展望の良さを誇ったのだと、この広告から想像できる。木内デパートの展望塔は三階建てだが、天井が低く、店舗部分に換算すると、おおよそ二階建ての高さで、店舗三階+二階で最上部までおよそ五階建てに相当。これでも周囲に高層建築物がなかった時代は大層見晴らしが良かった。対して本金デパートは、最上階の180度ガラス張りの展望...

  6. 大町二丁目通り変遷

    大町二丁目通りとは、秋田ニューシティーから日銀の間を言う。現在の大町地区はかなり広範囲だが、旧町名の時代は、旧魁新報社の大町一丁目から、赤れんが館の三丁目までの通りだけを指し、三丁目以南は本町四丁目、五丁目、六丁目と続いていた。それぞれの通りに特徴のある名称がつけられていた旧町名では、たとえば上肴町といえばあの通りだとすぐ解るが、新町名で大町○丁目○番○号などと言われてさっぱり解らない。外町では最も...