二〇世紀ひみつ基地

  1. 「大堰端暗渠」を歩く・藩政期から現代まで

    「二〇世紀ひみつ基地」通算エントリー1,000回突破記念号20century.blog2.fc2.com/blog-entry-1001.html ▼「大堰端暗渠」を歩く・藩政期から現代まで ▼古地図に見る藩政期の「大堰端」 「久保田城下絵図」寛保2(1742)年頃 秋田市中心部にあたる「久保田」の東端を南北に流れる「大堰」に沿った片側町を、俗に「大堰端」(おおぜきばた)という。 現在の明田地下道付近から南通築地→楢山を経て太平川に到る「大堰」の竣工は江...

  2. 穴門の堀に龍神を観た・広小路「蛇柳」跡ポケットパーク

    ▼広小路「木内」向かいにポケットパーク誕生2004.04 旧瀧不動産・旧マルキン本店(消失物件)平成十九年(2007)に更地となったあと、しばらくは不動産屋の看板が立っていた、秋田市広小路「木内」向かい、旧「瀧不動産」および旧「マルキン本店」跡地で、昨年春から始まったポケットパーク造成が、平成二十四年(2012)春に竣工した。完成予想図イラストでは人物の比率が小さく描かれているため、実際よりもずいぶん広く見える。...

  3. 消えた維新の名残・陸軍用地標石

    ●明治維新を語る道端の標石2009.03秋田市千秋久保田町の結婚式場「秋田セントポール教会」附属レストラン「フォンテーヌ」南隣の空き地に、つい最近まで「陸軍用地」の文字とその右上に「三一」と番号が刻まれた、高さ三十センチほどの石柱が道路のある西側を向いて設置されていた。かつてこの石柱の道路をはさんだ西側に、久保田城の外堀が水をたたえていたことから、外堀の東側の旧町名を手形堀反(ほりばた)町という。詳細は下...

  4. 内堀と鐘つき堂のある風景

    勝平得之『千秋公園八景・雨の内濠』昭和十二年県民会館の裏に残る千秋公園の内堀と、その上の鐘楼。内堀の水面は鷹匠町方面へつづき、柳越しに土手長町の火の見櫓がみえる。水上を這うように伸びる松は今も健在。久保田城の時鐘の歴史をひもとくと、寛永十六年(1639)、第二代藩主・佐竹義隆が、二の丸の東側、現在の佐竹資料館の裏付近に設置したのが最初で、明治の廃藩後、寺町、土手長町と移転した鐘楼は、明治二十五年、再び...

  5. 黄昏の街懐かしき鐘の音

    勝平得之 秋田十二景「鐘樓餘景」昭和四年鷹匠町の「鷹の松」越しに、外堀と千秋公園を望む。公園の高台に夕陽を浴びて建つ鐘楼と家並み。鐘楼の高台と対峙するように、手前に配置した「鷹の松」が作品に奥行きを添える。実際の鐘楼は「鷹の松」の延長線上よりも南に位置するため、この位置から「鷹の松」越しに鐘楼は見えず、その下につらなる家並みも実際の風景ではないが、そのまま写生したのでは“絵にならない”ため、勝平はそ...

  6. お堀に囲まれた洋館・秋田赤十字病院

    日本赤十字社秋田支部病院旧藩時代は兵具庫(武器庫)が並んでいた、周囲をお堀で囲まれる風致に恵まれた旧城地に、大正三年七月一日「日本赤十字社秋田支部病院」が開院する。これが初代の秋田赤十字病院であり、東北北海道地区で最初の赤十字病院だった。日本赤十字社が佐竹家所有の土地を市から無料で借り受け、明治大正に活躍し、東京駅や日本銀行の設計者として高名な辰野金吾に設計を依頼。辰野は県民会館の前身にあたる「秋...