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1972 横井さんフィーバーと秋田プラザの「グアム生活展」
大東亜戦争終結から28年目の1972(昭和47)年1月、アメリカ領グアム島で、無条件降伏発令を知らされなかった残留日本兵・横井庄一が島民に発見される。2人いた戦友たちは発見から数年前に事故で亡くっていた。 「グアム島敗戦の状況を知っていただきたいと思い、恥ずかしいけれども帰ってきた」との、羽田空港に到着したときの第一声が「恥ずかしながら帰って参りました」と変化して、この時代の流行語となり、「ヨッコイショ」の...
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80年代後半「キャッスルプラザ3F カルチャーフロア」の時代
今回は、前回記事「1986 キャッスルプラザに透明エスカレーター登場」でも触れた、広小路「秋田キャッスルホテル」館内の「キャッスルプラザ」にかつて存在したカルチャーフロアに関するお話しを。 1985(昭和60)年の春「キャッスルプラザ」(旧・秋田プラザ) 3階に、ブックセンター、新星堂、ソニックプラザが新たに入居して、カルチャーフロアとしての様相を整える。 ▲1985(昭和60)年4月 新聞広告 3F 知性のワンダーラン...
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1986 キャッスルプラザに透明エスカレーター登場
▲キャッスルのシースルーエスカレーター ▲2015.11 ▲2019.05 ▲2019.05 今回は「秋田キヤッスルホテル」広小路側の、サンルーム型シースルーエスカレーターのお話し。 1986(昭和61)年6月、その初期形態であるチューブ型シースルーエスカレーターが登場する。 ▲1986(昭和61)年 新聞広告 当時の「秋田キヤッスルホテル」(旧・秋田第一ホテル) 商業棟の名称は「キャッスルプラザ」(旧・秋田プラザ) 。「秋田プラザ」時代のこと...
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県民会館の土手から広小路を望む・大正期
秋田地裁付近・大正期の絵葉書より県民会館の土手から、広小路を見下ろす。西根小屋町の広小路に面した角に建つのは、赤レンガ建築の秋田地方裁判所。その右隣に白壁の木内雑貨店、さらに西側に秋田県庁および議事堂など関連施設が並ぶ。木内と後方に県庁昭和四十三年(1968)、秋田地裁は山王に移転、その跡地に昭和四十五年(1970)、秋田第一ホテル、現在の秋田キャッスルホテルが竣工する。2007.10_________関連記事1973 県民...
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県民会館の土手から広小路を望む・1971
1971広小路が歩行者天国になった休日、県民会館の土手に上り、広小路を見下ろす。貸ボートが遊ぶ穴門堀の向こう、左から、「長崎屋」「盛田カバン」「イワマ靴店」「モードササキ」「オノ時計店(工事中)」「ヒラノビル」、道をはさんで「秋田プラザ・第一ホテル」。「長崎屋」屋上のネオンサインがアンバランスで、今にも崩れ落ちそうだ。「ヒラノビル」の裏には、「桃園ビル(飲食ビル)」「小澤歯科」とつづき、「小澤歯科」の...
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秋田プラザにレインボーフロア誕生・1972
1972.12 新聞広告(部分)レインボウフロアは流れるメロディによって豪華なシャンデリアが、美しい七色の虹をつくり楽しいムードでいっぱいです。この無駄に豪華なレインボウフロアというのは記憶に無いが、イラストに自動車が描かれていることから、現在はホテルが増設された、露天駐車場に隣接した部分と思われる。_________関連記事広小路に「秋田プラザ」オープン・1970広小路空中散歩・1975・2007秋田プラザ(ひみつ基地内検...