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百七年目の「自転車百哩大競走」復刻版
0新聞広告 明治三十五年明治35年9月21日、秋田市下肴町のハイカラ商店・大島商会の主催により開催された、県内初の本格的ロードレースと思われる「自転車百哩(マイル)大競走」から100余年の歳月が流れた、平成21年9月21日の早朝、今も同地に残る旧大島商会の前に一台の自転車の姿があった。車上の人は当ブログの「自転車百哩大競走・大島商会主催」を読んで感銘をうけ、数ヶ月前にそのレースの再現を決意し、この日のために準...
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百年目の自転車遠乗会そして百哩大競走
今日の秋田魁新報にこんな記事が載っていた、とのメールに添付されて、六月十一日の朝、この画像が送られてきた。下肴町の大島商会が明治四十二年六月六日の日曜日に開催した、自転車遠乗会のことを「秋田の今昔を紹介するウェブサイト」で知り、この六月六日に、百年前と同じコースで遠乗り(サイクリング)を再現したという。明治の世に遠乗会を企画した大島商会店主・大嶋勘六氏も彼の世から、その姿を目を細めて見守っていたの...
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戦争と石油危機と厚生車
●戦争が生んだ厚生車の時代昭和四十年代初頭まで、人力車に似た車体に自転車を結合させた「厚生車」、いわゆる「輪タク」(自転車タクシー)が街を走り、秋田駅前で客待ちをする光景がみられた。秋田駅前 昭和30年頃「厚生車」のような人力三輪自転車が実用化され、全国的に普及しはじめるのは昭和十五年頃からである。昭和十二年の日中戦争勃発後、自動車に対するガソリン消費規制は徐々に厳しさを増し、交通事業者は木炭など代...
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自転車百哩大競走・大島商会主催
秋田市下肴町に大島商会が創業して間もない明治三十五年(1902)の秋、大嶋勘六氏の企画により、自転車の普及宣伝を兼ねた「自転車百哩大競走」なるイベントが開催された。新聞広告 明治三十五年秋田市を早朝に出発、本荘、浅舞、横手、六郷、大曲を経て秋田市に帰着する、延長百二十哩(マイル)約193.1 kmの走行コース。賞品として、一着・金側懐中時計、二着・銀側懐中時計、三着・秋田八丈一反、四着から十着・木綿反物一反が...
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自転車遠乗会・大島商会主催
明治四十二年・書籍広告より日章旗が掲げられた秋田市下肴町の煉瓦造商店・大島商会前にずらりと並んだ自転車に、「秋田輪界の一大偉観」のコピー。右端にはカメラのレンズに好奇の眼を向ける子どもたち。時は明治四十二年六月六日(日曜日)午前六時ごろ、彼ら五十余名はこれから能代までの自転車遠乗り、今で言うところのサイクリングに、いざ出発せんとするところである。自転車が高価な贅沢品だった時代、まだ若い自転車遠乗会...