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正月の料亭「あきたくらぶ」川反芸者と左褄
1昭和30年代の撮影とおぼしき、料亭「あきたくらぶ」の玄関を写した写真。 明治10年代創業の「秋田倶楽部」の別館として、厳選された秋田杉をふんだんに使い、大正時代に建設された、秋田を代表する料亭であった「あきたくらぶ」は、平成15(2003)年に倒産。その跡地は今「はなの夢 ホテルグランティア秋田」となっている。 新年の挨拶に訪れたのか、留袖の芸者さんと振袖姿の半玉 (はんぎょく) さん。関西方面では舞妓ともいう...
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秋田航空事始め・大正三年の飛行機大会
▼秋田の空を始めて飛行機が飛んだ日 ▲『秋田魁新報』広告 今から約100年前の大正3(1914)年6月、秋田市の空に初めてのエンジン飛行機が飛んだ。 飛行機大会の会場は秋田市亀ノ丁新町(現・南通みその町・南通築地)に広がる「楢山中学校運動場」通称「楢山グラウンド」。明治30年代に県立秋田中学校(現・秋田高校)運動場として整地されたこの地は、野球大会を初めとした各種スポーツのメッカであった。詳しくは次回に。 「秋...
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「恵方巻」の内緒話・はしたなき奇習
▼「恵方巻」はどこから来たのか節分の行事といえば「豆まき」と相場が決まっていたのが、大阪起源の「恵方巻」という、お行儀の悪い奇習が全国的に定着して久しい。縁起物としての「丸かぶり寿司」に関する最古の現存資料は、昭和7年(1932)「大阪鮓商組合後援会」発行の宣伝チラシという。その内容は以下の通り。「巻寿司と福の神」節分の日に丸かぶりこの流行は古くから花柳界にもて囃されていました。それが最近一般的に宣伝...
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洋食屋「千秋軒」仲小路ビルに復活・川反かめ清
仲小路ビル 10.07この春(2010)にリニューアル・オープンした仲小路ビルの一階、以前は「弥助そば」が入っていたスペースに7月中旬、川反の老舗割烹「かめ清」が経営する洋食屋「千秋軒」がオープンする。10.07店頭の貼り紙によれば・・・創業明治十九年、今年で一二四年の歴史を数える割烹かめ清。そんな割烹かめ清が明治三四年にオープンしたのが「西洋料理 千秋軒」。そして今年、平成二十二年七月十六日。一〇九年の時を経て「...
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本丸の桜花のもとの花七輪
「(千秋公園)本丸の名花」のキャプションが添えられた、大正のはじめころに発行された絵葉書より。地形から察するに撮影地点は本丸の西側、與次郎稲荷神社裏手に違いない。この地点から右手に眼を向けると「秋田招魂社」が鎮座し、正面のゆるやかな坂道を右折して百軒長屋跡を進めば、当時の女学生が、その情緒ある風情から「しんみりが岡」と名づけたという御隅櫓跡に至るわけだ。左手にのれんの下がった茶店(料亭)が建つ。大...
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イベント広場としての二の丸・千秋公園
●観桜会名物・川反芸者の手踊り昭和初期の撮影とおぼしき、花見時期の千秋公園二の丸のにぎわい。舞台では恒例の川反芸者の手踊り、左手の移動屋台に「アイスクリーム」の文字がみえる。なにしろ、大正の全盛期には約三百人の川反芸者がいたのだから、観桜会期間中は連日、それぞれの家(置屋)から選ばれた芸者たちが舞台にあがり、揃いの着物で妍(けん)を競ったものだろう。観桜会での川反および土崎芸者の手踊りは、戦中から...