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昭和レトロに逢いに行く・エリアなかいち界隈散歩
雲ひとつなく晴れあがった土曜日、「エリアなかいち」でのイベントをのぞきながら、千秋公園界隈に遅い朝の散歩。バックトゥザセンター「ファイナルイベント」~昔懐かしい!がなかいちに集結!~2012年09月08日(土)場所・エリアなかいち にぎわい広場・にぎわい交流館・千秋公園穴門堀主催・秋田商工会議所 ABS秋田放送 秋田まちづくり株式会社イベント内容チラシ(PDF書類直リン)↓H24.9.8 「バック トゥ ザ センター!」 ~...
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フック船長の紙芝居屋さん
牛島商店街の貸本屋「牛島文庫」は、紙芝居屋を兼ねていたのか、それとも紙芝居を貸し出していたのか、店のわきに紙芝居を乗せた自転車を停め、腰をおろしてタバコで一服するおじさんの姿をよく見かけた。楢山・牛島界隈を縄張りとするその紙芝居屋は、胸の前にぶらさげた大太鼓を打って、歩きながら子どもを呼び込み、紙芝居中に肝心な場面で入れる合いの手も「ドン!ドン!」と太鼓を鳴らす。おじさんの片手は戦争で失ったのだろ...
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米国からやってきた凄い玉・スーパーボール
昭和41年、少年たちのあいだに“凄いボール”の噂が駆けめぐった。地面に叩きつけた小さなボールが、大きくバウンドして三階建てのビルを軽く超えたとか、とにかく噂の方が先行していて、その現物を手にしたのは、それからしばらくしてからのことだったと思う。カリフォルニアの科学者 ノーマン・スティングレーが発明したゴム製ボールを、玩具メーカー Wham-O社が改良を加え、スーパーボールの名で発売したのが1965年(昭和40年)。...
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アイスクリーム魔法瓶のある風景
昭和34年 新聞広告昭和20年代から30年代にかけて活躍した「冷菓用魔法瓶」の広告である。広告主は秋田市南通で、大判焼き器、かき氷器、冷菓製造器、製造原料などを扱っていた本山商店。電気冷蔵庫が普及する以前、アイスクリームなどの冷菓はこの魔法瓶にストックされて販売されていた。内部がガラス製、またはステンレス製の魔法瓶と同様の構造の容器に氷菓を入れ、周囲からドライアイスで冷やす方式で、その構造上から容量は少...
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なつかしき昭和のアイスクリームたち
昭和30年代前半 新聞広告酒まんじゅうが名物だった「○〆(マルシメ)鎌田」の広告をネタに、昭和30年代の氷菓たちに思いをめぐらしてみよう。●パインアイス「特許アイスクリーム」とあるのは「パインアイス」とか「パイナップルアイス」などと呼ばれた、パインを輪切りにした形状の氷菓。シフォンケーキを作るものに似た、中央が突起した金型に原料を入れ、外側と内側から冷凍させることにより、氷の結晶が放射状に成長する、その...
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保戸野「あきこうまえ茶屋」昭和レトロ建築
塗装のはがれた壁面にプラットホームを模した看板、年季の入った緑色のベンチ、退色した日除け、黄色い張り紙には「ニテコサイダーあります」。旭川に架かる新中島橋を渡って秋田工業高校へ向かう途中にある駄菓子と格安軽食の店「あきこうまえ茶屋」。もともと駄菓子屋だった店を継承して開店したのが昭和57年(1982)という。秋田工高の門前にあるため、学生のたまり場として愛された、OBにとっては郷愁とともに語られる忘れがた...