1. 秋田市広小路・雪景

    (秋田)広小路通の雪景 大正期の絵葉書自動車という文明の利器は、まだ夢の夢の時代、積雪地帯での冬期の運搬はもっぱら馬橇か人力の橇となり、人力車夫も幌のついた箱橇を押した。荷物を積んだ橇は駅に着いた荷物を、通町あたりまで運ぶ途中だろうか。左手にみえる洋風建築は、秋田における本格的百貨店のはしりであった「新田目本店」。その向かいのあたりは県庁の敷地。広小路名物・三本松が道をふさぐようにそびえ、その向か...

  2. 「たろんぺ」は由緒正しき方言

    雪の中を夢中で駆けまわり、のどが渇いたら、雪を食べるか、軒にぶら下がった「たろんぺ」をなめたりかじったりして、のどを潤した子供のころは、今よりも雪は高く積もり、容易に軒に手が届いた。よく育った長い「たろんぺ」はチャンバラの刀にもなるが、すぐにポッキリ折れてしまう。子供らにとって「たろんぺ」は、その名の響きとともに親しみ深い存在だ。秋田の方言「たろんぺ」の語源は「垂る氷・たるひ」つまり、「垂れ下がる...

  3. 旧野口酒造酒蔵・通町

    秋田市通町 明治初期の酒蔵だけが残る藩政期の秋田には酒造家(さかや)が多かった。明和七年(1770)の記録では、久保田町(土崎、新屋、牛島などをのぞく秋田市中心部)だけでも、五十三軒もの数が記録され、通町だけで五、六軒の造り酒屋があった。通町のなかでも、野口酒造は最後発の酒造家。明治四年、秋田市上通町に初代・野口周次郎が創業。酒酩「親玉」。北海道市場開拓に努め、当時他県の有名銘柄も入り込むのが困難だっ...

  4. アイスキャンデーのおもいで

    子供のころの冬の楽しみのひとつ「手づくりアイスキャンデー」。用意するもの●渡辺のジュースの素(チクロ(有害人工甘味料)&人工着色料たっぷりの粉末ジュース)●コップ●割ばし●塩●金ダライつくりかた○粉末ジュースをコップに入れ水で溶き、割ばしを入れる○外に出て、雪の中に金ダライを埋める○タライの中にも雪を入れ、塩を加えてかき回す○ジュースの入ったコップをタライにいれる○しばらく待てば出来上がりキャンデーを舐めると...

  5. せきや・秋田市通町

    「せきや」が通町に店舗を構えたのが昭和30年代、周囲の商店と比べると歴史は浅いが、衰退いちじるしい地元商店の中にあって、もっとも活気あふれ、今ではこの町になくてはならない存在になっている。敷地内にまつられた、鰻と魚を供養する「鰻塚」。「己の身をすり減らしても人に尽くす」という社訓を象徴する「すりこぎ棒」。生鮮食品、特に鮮魚が豊富。川反から近いこともあって、飲食店などの得意先も多く、珍しい酒の肴や、市...

  6. ハレの日の「べっこう寒天」

    椎茸・卵・砂糖でつくる醤油味のカンテン料理は、我家では正月の定番だった。もともとは「べっこう」「えびす」「べろべろ」「ゆべし」などと呼ばれる、金沢を中心に北陸に広がる料理らしい。「べっこう」という命名は、「鼈甲・べっこう」の質感・色彩に似ているため。「べろべろ」は食感からの命名。懐石料理では、とき卵がつくりだす模様から「むら雲寄せ」という風流な名前も。山形や秋田の地菓子なども北陸系が多いので、同じ...

  7. 復刻版「エンゼル」たけや製パン

    秋田市・たけや製パン製エンゼルリングのケーキ型を使い、大豆を練りこんで、ふんわりと焼いた、なつかしの菓子パン。オリジナルパッケージは、森永のエンゼルに似たイラストだった。ついこの間のことと思ってたら、もう20年も前のことなのか……。口に入れると、あの頃の生活や心模様が蘇ってくる。_________関連記事たけや製パン -(ひみつ基地内検索)...

  8. 梵天奉納

    秋田市赤沼・太平山三吉神社里宮一月一七日法螺貝の音色、村札をぶつけ合う音、ジョヤサの掛け声、そして三吉節の歌声。わたしゃ 太平(おえだら) 三吉のこども人におし負け 大嫌い伊勢に七度 高野に八度出羽の三吉に 月詣り今日はめでたい 三吉のまつりジョヤサ ジョヤサの 人の波三吉節(保存会版)地元町内・企業の青年らが、ほら貝を吹き鳴らして神社に集結し、一年の五穀豊穣・家内安全・商売繁昌などの願をかけ、先...

  9. 梵天売り・今昔

    勝平得之「梵天賣」昭和十年藁に挿した梵天の玩具を売るアネッコ現代の梵天売りのアネッコ...

  10. 旧亀谷染物店・保戸野

    旭川に架かる保戸野新橋のすぐそばに建つ、かつては染物屋を営んでいた家。奥行きが深く広大な敷地は、往年の繁栄を物語っている。明治三十一年発行「秋田市商工人名」によれば、「保戸野愛宕町・呉服太物兼染物業・亀谷元吉」とある。秋田では旭川の川反に沿って染屋が多かった。川反四丁目の割烹「かめ清」は明治十九年の創業だが、それ以前はここで染物屋を営んでいたし、川反二丁目には四軒の染物屋があったという。染め上げた...

  11. ココアシガレットはオトナの香り

    駄菓子屋のロングセラー、露店の射的の景品としても定番、大阪オリオン株式会社の「ココアシガレット」。昭和二十六年から発売、パッケージはタバコのピースをイメージしたデザイン、60年代のピーク時には年間1,800万個を出荷。ここ数年はレトロブームに支えられ、年間500万個の売りあげという。当初は一箱5円というが、わたしらの時代は10円だった。そのころの製品は、ココアを白いハッカでくるんだ両切タバコそっくりのもので、...

  12. 秋田県アホ・バカ分布図

    この図は1991年に、朝日放送「探偵ナイトスクープ」のスタッフが全国市町村の教育委員会に配付したアンケートをもとに作成した「全国アホ・バカ分布図」の一部。バカとアホの境界線はどこにあるのか、という視聴者からの疑問が発端になり、分布調査は全国に展開し、異例の長期シリーズ化。その年の放送賞を総なめ。言語学の素人であるスタッフによる取材結果は学会で発表され、その後出版された「全国アホ・バカ分布考」はベストセ...

  13. 大正期の中土橋・千秋公園入口

    千秋公園入口・大正初期の絵葉書平野美術館の構内にある土手が、この当時は大きく突き出して道をふさいでいる。土手の裏には秋田の武道館だった武徳館(今で言えばさしずめ市立体育館)、その後ろには明徳小学校。左手の現・県民会館の高台には大正七年に惜しくも焼失したルネッサンス様式の県公会堂が望め、撮影年代の判定材料となっている。秋田千秋公園の桜 秋田三色堂発行・おなじく大正初期明治元年発行・秋田城郭市内全図よ...

  14. 八幡秋田神社焼失す

    秋田市千秋公園内一月九日午前四時ころ出火し本殿と拝殿を全焼する。昨年の元旦茨城の太田城に創建した佐竹家の氏神を久保田に移し、のちに初代藩主・佐竹義宣を祀る秋田神社を合併し、八幡秋田神社と名を変え内町(武士の町)の総鎮守となった。我家は佐竹家が久保田に入る以前は太平に住んでいたが、のちに佐竹の家臣のはしくれとなったため、八幡秋田神社が氏神となっている。また、竿燈祭り初日の早朝、竿燈のてっぺんに付ける...

  15. 秋田市上肴町・魚市場

    上肴町・魚市場 大正末頃通町と上肴町界隈は秋田市の商業の中心地であった。通町側から今の「仏壇の升谷」のあたりまで魚問屋が両側に並び、店の前面にはアーケードの様に、コミセ(ヒサシ)が設置され、日差しや雨雪を防いでいる。上肴町の米屋に明治二十八年に生まれ、幼少期を過ごした文化人・鷲尾よし子は、幼いころの記憶を書き残している。馬から降ろされた大籠(十貫も入る長方形)から、貝焼皿で五匹づゝ計られるブリコハ...

  16. 寒天・市民市場

    秋田市民市場、総菜の「川和田商店」の寒天。おせち料理にはかかせない寒天料理。母親の造る寒天は、醤油と椎茸を使い、とき卵を加えたものだった。...

  17. あきぎんのアコちゃん

    現役時代から人気があり、銀行貯金箱マニアの間でも評価が高い、秋田銀行のマスコットキャラクター「アコちゃん」。その人気の要因は、素朴でかわいいキャラクターデザインの秀逸さとともに、バリエーションの豊富さにあると思われる。 稲穂を手にしたお馴染みの秋バージョンの他に、四季に応じた貯金箱が配布された。 ピンクのエプロンに蕗の葉を傘にした春バージョン。夏バージョンは、水色のハッピに「祭」のうちわを手にした...