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マジソンバッグの70年代
マジソンスクエアガーデンバッグ、通称マジソンバッグ実物は濃紺70年代のヒット商品、マジソンバッグが発売されたのは、1968年(昭和四十三年)。当初は神戸、横浜・横須賀あたりで反響を呼び、特に女子高生がセカンドバッグとして使用したのがきっかけとなり、70年代はじめには全国の中高生の通学用セカントバッグや、スポーツ用として愛用され、発売から約十年におよぶロングヒットを記録。その背景には、60年代のアイビールック...
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県民会館とセドリック
ニッサン セドリック羽後日産モーター株式会社 広告昭和四十一年(1966)秋田県民会館をバックにした写真は、フロントグリルの形状から「ニッサン・セドリック・カスタム6」と思われる。イタリアのピニンファリーナがデザインした130系セドリックは、ハイヤーやパトカーでも使われた、お馴染の車体。色気のあるデザインだが当時のユーザーには不評だったらしい。フロントとリアには開閉式の三角窓が装備され、それを開けて走ると...
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紙鉄砲で遊ぶ
紙鉄砲のつくりかた・クリックで拡大紙は新聞紙がベスト。遊びかた強く降り下ろすことにより、風圧で折り込んだ部分が開き、大きな音を出す。油断している友だちや兄弟の背後に、足を忍ばせ近づき、おもいっきり降り下ろす。「パン!」。その大きな音に、目を丸くして驚いている姿をみて歓声をあげ、相手によっては、その場から逃げ出したり、駆けっこのピストルの代わりにも使った紙鉄砲。こんな単純な遊びなのに、あんなに夢中な...
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恥ずかしがり屋の看板
秋田市旭南「ヒゲタ醤油」のホーロー看板が取り付けられたすぐあとに、右側の建物が建ったため、人の目にも触れず、日陰者のような存在になってしまった可愛そうな物件。「山に髭田」のロゴマークが、眉毛と眼のようにもみえて、まるで、恥ずかしがり屋さんが、物陰に隠れてこちらを窺っているかのようだ。涙目のようにもみえる。昭和の遺産ともいえるホーロー看板が街角から消えてゆく運命にあるなか、この看板だけは取り外される...
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ラジコン型ロボット?・広告
1966年 少年サンデー広告これも前回の「ラジオが当る!!」と同様に、いったい何がメインの商品なのか、一見して分からない広告。前金500円で「切手」を注文するか、前金600円で万年筆を注文すると、「ラジコン型ロボット」がもらえるという、そのロボットの説明は次の通り。ラジコン型なのでコード類は不要で操縦器1つで陸上、水上でも前進後退左右回転、坂も上りスピードがかえられマグネット誘導方式なのでどのようにも動き2ケ...
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東電前融雪道路・広小路
昭和四十一年(1966)、東北電力の広告より「秋田県最初の電機融雪道路」このころの広小路の歩道は、歩行者数が多かったため、積雪期には踏み固められた雪が、テカテカのアイスバーン状態になることが多く、そのなかにあって東北電力前にできた融雪道路は、当時は画期的なもので、そこだけ春が来たかのような空間が物珍しく、立ち止まり一服する人も多かった。同じころ車道には、地下水を汲みあげて噴水状に散布する融雪装置が一時...
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秋田百円ラーメン伝説
その店にはメニューがなかった。だから一言挨拶を交わし、少し待てば一杯百円のラーメンが出てくる。しっかりとダシが効いたスープ、チャーシュー一枚、メンマに海苔がトッピングされ、百円とは信じられぬほどの味とボリューム。これでは売れば売るほど赤字になるのはあきらか。だから所在を聞かれてもなるべく教えたくはなかった。80年代の店内「薮松」が、静かに店を閉じたのは昨年の春ころだろうか。看板も暖簾もなかったので、...