1. 花祭り・田の神・お花見

    キリストさんの誕生日を浮かれ騒ぐ、いちおう仏教徒であるはずの日本人のほとんどが、お釈迦さんの誕生日を知らず祝うこともない。釈迦牟尼の誕生日・灌仏会(かんぶつえ)は旧暦の四月八日ということになっていて、秋田仏教会では桜の花の咲くころ、四月二十九日、みどりの日に、寺町の寺院が持ち回りで会場となって開かれる。お寺を出発した稚児行列は、誕生仏を乗せた白い象を曳いて大町周辺を一周して戻り、誕生仏に甘茶を掛け...

  2. 川反に土手があったころ

    「秋田 旭川の清流」佐藤写真館発行昭和初期ころの絵葉書川反一丁目橋から二丁目橋を撮影。カラーフイルムなど無い時代、職人がモノクロ写真から三色版を製版した人工着色印刷。東側(左)には佐竹氏の町割のとき、旭川の堀替で出た土砂を積み上げて形成した土手が、この当時は通町橋から五丁目橋まで断続的に残っていた。その上には松と桜の並木が続き、桜の季節は見事であったという。土手の東側の通りを土手長町というのも、長...

  3. 太平川の桜並木

    今年の桜はゴールデンウイーク中に見ごろを迎えるようだ。秋田市内で私のお気に入りは楢山愛宕下付近の「太平川の桜並木」。総延長2km以上に及ぶ、染井吉野の桜並木は、昭和三十五年(1960)、浩宮の生誕を記念して植樹されたもの。川面に映る桜が美しく、散る花びらで彩られる有終の美もまた良し。昨年の太平川桜並木...

  4. 神輿渡御祭・弥高神社

    弥高神社例祭・神輿渡御祭四月二十四日イヤタカ会館→平田篤胤生誕地→アゴラ広場→千秋公園・弥高神社...

  5. 八橋「おでんつぁん」のお祭り

    八橋天神まつり四月二十四・二十五日 秋田市八橋 菅原神社八橋の「おでんつぁん(天神様)」と親しまれた菅原神社は、天王町出戸字北野にあったものを、慶安(1648)のころ川尻総社神社の地に移したと伝えられている。現在地に移ったのは延享三年(1746)。祭神は天満大自在天神、これは学問の神・菅原道真公のこと。城下の町民から、手習い学問の神としてあがめられ、祭りの日には額納めという、子供たちが習字を奉納する風習が...

  6. 鏝絵・左官職人の心意気

    鏝絵「波に雲龍」秋田市下北手桜・鈴木家鏝絵(こてえ)とは、左官職人が鏝(コテ)を絵筆として、民家の土蔵の壁や扉、室内の欄間、壁などに、「鯉の滝登り」「鶴亀」「波乗リ兎」「雲龍」「お多福」などの縁起の良い意匠を、漆喰の浮彫りで描き彩色したもので、秋田市内では主に、下北手、太平、豊岩などに残されている。漆喰を使った鏝絵を考案したのは、文化十二年(1815)伊豆松崎に生を受けた入江長八(通称・伊豆の長八)と...

  7. 産館ホールへ行こう

    秋田産業会館 昭和三十年代秋田県庁が山王に移転した空地の一角に、県内の物産品の公開展示、産業経済のセンターを目的とした「秋田産業会館」、通称「産館」が竣工したのは昭和三十五年(1960)。九百五十人収容の大ホールでは、式典、大会、コンサートのほかに、秋田おばこコンテスト、見本市などの各種イベントが開かれる、県民にとってはなじみ深い施設だった。常に若い世代とともに、その時々の流行の音楽が流れ、天井にはミ...

  8. 秋田駅前「瀧の頭」

    秋田駅前の居酒屋「瀧の頭」超激辛「地獄ラーメン」四分完食賞品が変わっていた。以前の賞品はこちら。...

  9. ダッコちゃんブーム

    昭和三十年代後半のほとんどの家庭には「ダッコちゃん」が居て、腕に抱きつかせて、一緒にどこへでも連れて行った。昭和三十五年(1960)七月、宝ビニール工業所(現・タカラ)が、空気でふくらませるビニール製人形を製作。「木のぼりウインキー」と名付け、東京浅草のツクダ屋玩具から発売、価格百八十円。この人形を腕にからませて闊歩する若い女性を報道したマスコミが「ダッコちゃん」と命名。「ダッコちゃん」を買い求める客...

  10. 続・春を告げる「だるまさん祭り」

    手のひらサイズのミニだるま鬼門除けの守り神、火伏せ、風邪除けの神という「星辻だるま」は、明治までは神社の講中で造っていたが、今は県外産。五万円もする大きなものから百円のミニダルマまであるなかで、この百円のものが、いちばん素朴で愛らしく、人気があって初日には売りきれてしまう。頭の上に「星」、お腹には「川反一丁目」を表す「川」と「一」の装飾文字。大きなだるまには「福一満」の文字があるが、これは比較的最...

  11. 春を告げる「だるまさん祭り」

    福一満星辻神社 だるま祭り四月十二日 宵宮  十三日 本宮両日とも朝七時から夜九時まで秋田市川反一丁目星辻神社は境内に天保一四年(1843)と刻まれた手洗石ある古い神社だが、藩政期は聖護院(清光院)という修験の堂宇で、本尊は虚空蔵菩薩であった。そのため、お年寄りはこの神社を「セイゴイさん」とか「セイコウさん」と呼ぶ。明治維新の神仏分離の際に、虚空蔵信仰と縁の深い北斗七星、明星信仰の神社に衣替えし、星辻...

  12. 高砂堂・大正ロマンの町家

    高砂堂店舗 大正七年建築秋田市保戸野通町木造二階建、塗屋造、瓦葺、平入り設計・施工 藤本東三郎 国登録有形文化財塚本家の祖は佐竹の家臣、明治になってからは、写真館、リンゴ園などを経営。店内には、明治二十七年一月・大日本帝国発行「菓子製造営業免許鑑札」が掲げられている。菓子製造を目的に砂糖を使うには、国の許可が必要な時代だった。初期の店名は「高砂楼」、明治三十五年「高砂堂」と名を改める。明治三十五年...

  13. 生ゴミ回収車が来た時代

    厨芥車「スクリュードラム」 昭和三十年代ペイントされた文字は「はえのいないまちに」昭和三十年代後期の生ゴミ回収風景。生ゴミの入れ物は、バケツ、洗面器、ボウルとさまざまで、なかには木製の桶のようなものもみえる。夏休みだろうか、子供たちが物珍しそうに眺めているのが、ほほえましい。昭和三十六年(1961)八月、秋田市八橋に七十五トンのゴミ焼却炉が完成。しかし、この焼却炉は残飯類のような水分がたっぷり含んだゴ...

  14. 千秋公園より手形方面を望む

    絵葉書「(羽後)千秋公園より手形方面を望む」明治末から大正初期太平山の下方に、明治四三年四月に創立された、秋田鉱山専門学校(秋大鉱山学部の前身)、その右手には、秋田師範学校(秋大教育学部の前身)と思われる建物がある。学校の手前の広大な空地は、歩兵第一七連隊の練兵場。その手前には、手形休下町から旭川村へ抜ける道路が見える。部分拡大「鉱山専門学校」絵葉書「秋田市千秋公園より鉱山学校及び太平山を望む」明...

  15. 「猫イラズ」掛看板

    掛看板・升屋薬店(現舛屋薬局・土崎)県立博物館収蔵大正初期 本舗 東京 成毛商店猫より働く不思議によくきく鼠とり薬登録商標「猫イラズ」特約店 升屋薬店暇そうにアクビする猫の首には「免職」の札、ネズミ取りには「オハライ物」の札が付けられ、うち捨てられている。インパクトのある「ズライ猫」のロゴ、全体のデザイン、彫刻も秀逸で保存状態も良い。「猫イラズ」は、明治三十八年、成毛商店から発売され、大正一年に商標...