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大の大人の「ウルトラQ」ごっこ
昭和四十一年(1966)一月九日から七月三日にかけて全二十八話が放映された「ウルトラQ」は、円谷プロダクションが製作したSF特撮テレビドラマの名作。日曜日夜七時から三十分、一話完結のモノクロ作品で、第一回目の放送が視聴率42.1%を記録している。このドラマの成功がなかったら「ウルトラマン」へと続くウルトラシリーズは実現されなかった。ウルトラシリーズのキー局はTBSだったので、当時秋田県では随一の民放局・ABS秋...
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男心と「透視メガネ」
掲載年不明昭和五十年代ころまでの雑誌にはよく見られたあやしげな通販広告。「週間実話」などのオトナの雑誌をはじめ、少年雑誌にも似たような広告が載っていた。これは価格から推測すると最後期のものか。「透視する事が出来る」と断言せずに「透視する事が出来るようです」と逃げ道を作ってあるが、「見えたぞ!! 見えた!! 」と煽り、「類似粗悪品に注意」「日米英独特許申請画期的新発明」と「本物」であることをほのめかす手...
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「のりたま」と「エイトマン」
一袋・30円(発売当初価格)昭和三十五年(1960)、丸美屋から発売された「のりたま」は、「ふりかけは魚が原材料」というそれまでの常識をくつがえし、当時はまだ贅沢品だった卵と海苔を主原料とした新時代のふりかけだった。パッケージは、大阪万博の桜花をモチーフにした シンボルマーク、日清食品「カップヌードル」パッケージなどを手がけた大高猛(故人)のデザイン。緑色は食品にはなじまないとされた当時としては、かなり...
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♪光る海 光る大空 光る大地・エイトマン
最近、NTT「フレッツ光」のCMでSMAPが歌う♪光る海 光る大空 光る大地 行こう無限の地平線……♪というフレーズが流れると、ついつい画面に眼が行き耳を傾けてしまう。この曲は、ぼくらのスーパーヒーローだった「エイトマン」のテーマソングの冒頭部分。あのころ、この曲を口ずさむと血湧き肉躍り自分が強くなれたような気がした。歌詞は♪走れエイトマン 弾丸(たま)よりも早く 叫べ胸を張れ 鋼鉄の胸を♪と続くのだが、こ...
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クルスは何を語るのか
三枚の真鍮板を貼りあわせて造られた古色を帯びたクルス・・・、これは私の父が、昭和三十三年ころ、千秋公園西側の崖で拾ったもの。藩士、重臣を含めて、久保田城内(千秋公園)には多数のキリシタンが居たことが記録されている。一例をあげると……。耶蘇会派の宣教師が東洋における布教の状況を本国に報告した『日本耶蘇会年報』によれば、佐竹義宣の第二婦人・西の丸殿は熱心なキリシタンであった。身分が身分であり洗礼を受けるこ...
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消えた白亜の洋館
千秋公園の東側、大手門通りの堀端に建つ瀟洒な洋風建築。物心付いたころから前を通るたびに、なんとハイカラな御屋敷だろう、と眺めていた建物が先ごろ惜しくも解体されてしまった。解体前。老朽化のためかなり補修されているが、以前は白壁の美しい洋館だった。この建物、昭和三十九年の住宅地図には「颯々荘」という風流な名が載っている。かつては旅館だったというが詳細は不明。建築は大正から昭和初期だろうか。ガラス窓の面...
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噴水ジュースがあった時代
噴水型ジュース自販機「オアシス」ボトルの中で噴き上がるおいしそうなオレンジジュースに購買欲をそそられ、左のコップホルダーから紙コップを引きだし、右の受け皿に載せ十円玉を入れると冷たいジュースが注がれる。昭和三十二年(1957)に、日本初のジュース自販機を世に出した星崎電機(現ホシザキ電機)が、昭和三十七年(1962)「街のオアシス」というネーミングで、噴水型のジュース自販機を発売し大反響を呼ぶ。ガラスボト...
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歯車ぐるぐる幾何学模様
昭和四十年代、祭りの露店には、色とりどりのカラフルなプラスチック製の定規が並べられ、その前には人だかりができ、テキヤのおじさんが手際よく描く花模様に見とれていた。それは、歯車の穴にペンを指してぐるぐる回すと、奇麗な幾何学模様が描けるオモチャ。正式名称は「スピログラフ」といい、考案者はイギリスのエンジニア、フイッシャー氏。1965年ころ商品化し店頭に並ぶと、ろくに宣伝もしていないのに口コミで爆発的ブーム...
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露店にはカラーヒヨコがいた
昭和三十年代の木内の新聞広告にこんな文章がある。こどもの日、木内デパートではお子様に金魚を差し上げますなお、入れ物は各自ご持参下さいたかが金魚と思われるかも知れないが、たかが金魚目当てに開店前から容器を持った子供たちが行列をつくる時代だった。同じころ、金座街にあった金鳥園ではヒヨコのプレゼントがあったと記憶している。かつては祭りの露店にも、ヒヨコやミドリガメなどの生き物が売られていた。中にはスプレ...
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夜店の明かりに誘われて
千秋公園桜祭り・湖月池夜景桜祭りの期間、千秋公園の入口(中土橋)から延々と両側に続いていた露店が一気に減少したのは、暴力団追放運動に関連して、テキヤの露店が軒並み排除されてからのことだった。味も素っ気もない素人露店がまばらに出ただけの、その年から数年間の桜祭りは寒々とした光景だった。その後、テキヤの露店も徐々に復活したが、あの頃の賑わいを取り戻すことはもう出来ないのだろうか。白熱電球のオレンジ色の...