1. お家も見えるよ「本金タワー」

    昭和四十年(1965)本金デパートのタワーは、先行した木内デパートの展望塔よりも高く築き、その展望の良さを誇ったのだと、この広告から想像できる。木内デパートの展望塔は三階建てだが、天井が低く、店舗部分に換算すると、おおよそ二階建ての高さで、店舗三階+二階で最上部までおよそ五階建てに相当。これでも周囲に高層建築物がなかった時代は大層見晴らしが良かった。対して本金デパートは、最上階の180度ガラス張りの展望...

  2. 長町通り「勧工場」

    秋田市長町通・昭和始めころ前回の「殻堀橋」と同じく、土手長町通りの風景だが、これもまた現在とのあまりの違いに驚かされる。場所は中央通りの突当り、歩道橋付近、そこから南(有楽町方向)を望んでいる。左手の建物は大正十四年竣工の県物産館(現・北都銀行本店)。右手に連なる商店は、大正十一年に旭川の土手の一部を切り崩して造成して誕生した勧工場(かんこうば)。勧工場は勧商場とも呼ばれ、様々な商店が寄合った、今...

  3. 今は幻の「殻堀橋」

    「長町通り」大正始めころ「長町通り」とは、川反五丁目橋から通町橋まで、旭川の東を通る土手長町通りのこと。左手には外町と内町を隔てる土手が旭川沿いに連なり、木橋の欄干には「からほり橋」「明治四二年八月・・」の文字が記されている。撮影地点は、有楽町から五丁目橋を左手に見て、土手長町通りを北に少し進んだ「旧あきたくらぶ」のあたり。ここに橋があったなんて、今となっては信じられない。藩政期、後の「あきたくらぶ...

  4. 遠足のお供に「カルミン」

    15粒入り 50円大正十年(1921)、明治製菓の前身、東京菓子株式会社から発売されたロングセラー。原料の「炭酸カルシウム」と「ミント」を組みあわせて「カルミン」と命名。表面に刻印されたMSの文字は明治製菓の頭文字。青地に赤、黄色文字が眼を惹くパッケージデザインが秀逸。大正十二年 新聞広告進物用カルミン詰め合わせである。「世界随一の栄養錠菓 カルシウム入り」と、その栄養価を謳い、お菓子というよりは健康滋養...

  5. ジャズスポット「ロンド」

    川反一丁目昭和五十一年(1976)中央通りから現在地に移転。高堂屋酒店の米蔵を改修して再生させたため、当初は酒麹の甘い香りが漂って良い感じだった。はじめは中央通りの木内に通じる小路の東角、郵便局(現・マンション)の二階で営業していた。狭い階段を上ると、薄暗くて眼が馴れるまでは客の顔もよく見えない。ほの赤い照明と会話が聞き取れぬほどの大音量のリズムに身を任せる体験は、あたかも母親の胎内で羊水に揺られて心...

  6. 川反一丁目「高堂酒店」造り酒屋

    高堂酒店 川反一丁目切妻屋根の下に太い梁首を突きだし、屋根の笠木も張り出した秋田の典型的町家。かつては夕方になれば仕事帰りに盛切(もっきり)をあおる客(近くの魁社員が多かった)で賑わっていた。万延元年(1860)、高堂兵右衛門が久保田町川端(現・川反)一丁目に創業した造り酒屋。明治八年、灘より杜氏を招き新技術を導入するなど醸造技術の改良と酒質の向上に努めた。清酒品評会で優等賞をはじめとして数々の賞に輝...

  7. 光と闇を結ぶ「通町橋」

    通町橋・明治末から大正初期木製の橋の右手には白壁の土蔵造り店舗の吉川雑貨店(現須田薬局)、その奥には高砂堂の店舗がみえる。高砂堂が現在の店舗に建替えられる前だから、撮影は大正七年以前。両手に野菜を沢山入れたコダシ(アケビづるで編んだ買い物カゴ)を持った婦人は、外町(商人・職人町)で買い物をして内町(武家町)に帰るところ。上肴町と通町を廻れば食料品は取揃えることができた。戦前まで、外町の商人は内町か...