1. お堀の下を歩く・秋田中央道路

    約五年におよぶ「秋田中央道路」の、千秋公園「大手門堀」における水抜き掘削工事も完了し、大きく景観を損ねていた工事用桟橋も撤去されてスッキリ。まだ水の濁りがはげしいが、手形に移植されていた蓮が植えられれば、ようやくもとの姿にもどることになる。工事中の大手門堀 2004.10桟橋が撤去された大手門堀右手の青いシートでおおわれたビルは、マルサン跡に建設中のホテル。真ん中に写るホテルハワイの東隣でもホテル建設中。...

  2. フラフープでふぅらふら

    昭和三十年代、世界的な大ブームを巻き起こしたフラフープ。その名は、輪のなかに体を入れ、フラダンスのように腰をグラインドさせることからきている。フラフープの起源はオーストラリア原住民が遊んでいた木製の輪だという。昭和三十三年(1958)、それにヒントを得たアメリカのおもちゃ会社が、硬質プラスチックのチューブを使い製品化したところ、発売四ヶ月で二千五百万本を売上げる大ヒット。欧米を席巻したフラフープは、そ...

  3. 検便の朝の憂うつ

    小学校低学年のころの「検便」容器は、自宅で使ったマッチの空き箱だった。検便につかうウンコは、その朝生まれたての新鮮なものでなくてはならない。提出日の朝は新聞紙と割りばしを手に、汲取り便所に向い、しゃがんだ尻の下に新聞紙を両手で持ってりきむ。ウンコを少し受け取とると両手に重さが伝わってくる。それを脇に置き、残りのウンコをひねりだしたあと、新聞紙に乗ったウンコから割りばしで親指ほどの大きさをつまみだし...

  4. 我家のマッチは「ひよこ」のラベル

    マッチは日常生活の必需品だった。食事の支度もストーブに火を付けるのも、煙草を吸うのもマッチがなくては始まらない。製造メーカーも多く、販売店が新聞広告を打つほどの主力商品だった。昭和二十六年 新聞広告経木と紙で出来ていたマッチ箱が、昭和二十九年ころから引きだし(中箱)が紙製の小箱に、昭和三十一ころには外箱も紙製に切り替えが始まったというが、昭和三十年代にはまだ経木のマッチ箱が流通していた。昭和二十七...

  5. 川反検番と「あげや」の跡

    すずらん通りの「さんや食堂」と郷土料理「芝良久」にはさまれた「秋田市料亭会館」一階にあった「あげや」は、1960年代末に開業した市内では珍しい揚物専門店だったが、昨年の六月で店を閉じてしまった。「あげや」の主人が「レストラン朝日亭」でコックをしていたときに習得したというカツ丼は、醤油ベースの味付けは甘めのカツに、タケノコのスライスとグリーンピースが添えられた、他ではお目にかかれない一品。「レストラン朝...

  6. 復刻版「羊羹あんぱん」たけや製パン

    たけや製パンから、こし餡のあんパンに、羊羹の生地がコーティングされた、なつかしの「羊羹あんぱん」が復刻された。その風情が以前に掲載した、子供のころの「記憶の中の羊羹パン」のイラストによく似ていて、パンが並ぶ棚の前で思わず微笑んでしまった。_________関連記事「羊羹だんご」と「羊羹パン」復刻版「エンゼル」たけや製パン...

  7. 「金萬」から「銀萬」新発売!

    昭和三十五年(1960)の春三月、秋田駅前の金萬から、開店五周年を記念して「金萬」の姉妹菓子「銀萬」が発売された。ここでいう「開店五周年」とは、店名を「金萬」と改めてから五年目という意味だろう。「金萬」の初期の商品名は「金万」であったが、この時代は両方の名称が混在している。美と健康の元・ローヤルゼリーを練り込んで、価格は一個十円。「金萬」のほうは十五円か二十円だろうか。三十年代の半ばといえば、ラーメン...

  8. 秋田名物「猿貝焼」のお話

    秋田では猿を貝焼(鍋物)にして食べる習慣が古くからあり、市民市場や魚屋に行けば新鮮な猿肉をいつでも買い求めることができる。脂の乗った厳冬期から木の芽を主食とする春先の猿の味は格別だ。フォアグラのような脳味噌の濃厚でありながら、サッパリとした味も食通をうならせる。猿肉は体が温まり、子どもの夜尿症にも効果があると伝えられている。‥‥などというホラ話はさておき、南秋田、秋田、仙北周辺に分布する「さるかやぎ...

  9. 立体音楽堂・カーネギーホール

    かつて名曲喫茶の時代があった。東京の繁華街に名曲喫茶が雨後の筍のように誕生したのは、長時間連続演奏が可能なLPレコードが流通しはじめた終戦間もないころ。荒廃の傷跡が残る街の片隅で、名曲喫茶は音楽に飢えた人々に、音と香りによる安らぎの時空間を提供した。その当時、レコードは非常に高価で数も少なく、それを再生する音響装置は庶民に手の届くものではなかったが、名曲喫茶に行けば一杯のコーヒーで何時間でもクラシッ...