1. 時代を記憶するホーロー看板

    秋田市内某所昭和四十年代まで、電柱といえば杉丸太に防腐剤のクレオソートを塗った黒いもので、それの低い位置には「登るな」と注意するホーロー看板が打ちつけられていた。今どきの子どもは電柱になんか昇って遊ばないが、当時は路上にあるものはなんでも遊び道具にした。木材の高騰で電柱がコンクリートポールへと変わった時点で、電柱と一緒に処分される運命だったため、こうして残っている物件はきわめて稀であり、時代を記憶...

  2. 準グランプリを頂きました

    この度、秋田ネタウェブサイト・アキタフェさんが開催する「第1回 秋田ゴールドサイト・グランプリ」に於て、当ブログが準グランプリに選定されておりました。グランプリは、秋田の人気者、地産ヒーロー「超神ネイガー」の公式サイトでありまして、それに次ぐ準グランプリは身に余る光栄でございます。関連リンク第1回 秋田ゴールドサイト・グランプリ秋田くちこみ情報 アキタフェ超神ネイガー公式ウェブサイト...

  3. 花見には空から酒が舞い降りた

    空を舞う軽飛行機から降ってきたのは宣伝ビラだけではない。菓子メーカーが宣伝の一環として、キャラメルや、お菓子の詰め合わせなどをパラシュートにつけて落とすこともあった。この場合はあらかじめ新聞に予告広告が掲載されたようだが、ビラと違って数が限られているため、それをゲットするのは至難であった。昭和三十二年(1957)、秋田市のお花見期間中に、黄金井酒造が空から酒を撒いている。新聞広告 昭和三十二年(1957)...

  4. ビラ撒け!軽飛行機

    晴れ渡った大空のもと、低空を飛ぶ軽飛行機から放たれた無数のビラは、太陽の光を受けてキラキラと輝き、地上めがけてヒラヒラと舞い降りる。軽飛行機の拡声器から降り注ぐアナウンスは、風にながされて、とぎれとぎれ。風が強い日は、ビラは思わぬ方へ散り々々と、遠くまで飛んでいく。僕らはそのビラを手にするために、かけがえのない宝物を求めるように、路地を抜け、原っぱを越え、我を忘れて走り、自転車のペダルを踏みつづけ...

  5. 参詣の小道・蓮住寺小路

    秋田市・歴史の小路(二)旧羽州街道沿いの鉄砲町通りの旧町名は表鉄砲町、その南の南鉄砲町は、明治十九年の俵屋火事以降、下米町から遊廓が移ってきた町で、常盤町とも呼ばれた。北は寺町の続きで、三つの寺院が並ぶ北鉄砲町。秋田市保戸野鉄砲町付近元禄十四年(1701)ころ、鉄砲町通りの中ほどに、表鉄砲町から北鉄砲町の蓮住寺門前に抜ける蓮住寺小路がつくられ、多くの参詣者で賑わったという。蓮住寺小路蓮住寺文禄四年(15...

  6. 見上げた空に本金の残像

    この三月をもって「ほんきん西武」が閉店し、「秋田西武」として新装オープンしたことで、嘉永三年(1626)創業の老舗・本金の名も完全に消えてしまったが、ふと見上げた空に「○に本」の本金のロゴマーク(本間金之助商店の家印)が取り外された跡が、往年の繁栄の残像でもあるかのように残っていた。ここはワシントンホテル(旧本金デパート)の裏にある立体駐車場。かつては本金の駐車場で、今は辻兵が管理する、秋田ニューシテ...

  7. コーヒーガムはオトナの香り

    ロッテから「コーヒーガム」の復刻版が発売され、コンビニやスーパーに並んでいる。“お口の恋人”ロッテ「コーヒーガム」オリジナルは昭和三十七年(1962)十一月に発売され、平成二年(1990)の販売終了までの、長きにわたって愛されたロングセラー商品。当初は六枚入り十円だったと思う。そのころのパッケージはコーヒー豆の数が多いなど若干の違いがあるが、イメージは復刻版とたいして変わらない。平成十一年(1999)には、再発...

  8. ウエハースパンと菱餅

    カステラとクリームをウエハースでサンドした菓子パンは今でも売っている。しかし、初期のウエハースパンは、カステラなどという高級なものではなく、少し甘味のある、パンに限りなく近いものだった。それでも、その美味しさとカラフルな見た目で、子供たちには人気の製品であった。緑色と桃色のウエハースを使い、形は正方形や三角形のものもあったはず。新聞広告 昭和三十五年(1960)駅前の久保田町に工場があった時代の、たけ...

  9. だるま祭りの宵

    秋田の町に春を告げる、川反一丁目、福一満星辻神社のだるま祭り。宵祭りの十二日は、六月中旬の気温という暖気に、昨日までの肌寒さが嘘のよう。恒例の雨もぱらつき、宵宮の夜は更けてゆく。闇のなか、白熱灯のあかり輝く夜店は、二〇世紀的郷愁装置。-----------関連記事春を告げる「だるまさん祭り」続・春を告げる「だるまさん祭り」...

  10. 猫の目草の春明かり

    「ネコノメソウ」ユキノシタ科・ネコノメソウ属春先の野山を歩くと、黄緑色に萌えるネコノメソウの鮮やかさが眼を惹き、つい足を止めて見入ってししまう。春に咲く花は直径2mmほどの小さなものだが、それを囲むように配置された緑色の葉が、中心に向かうほどに黄色を帯びて美しいグラデーションを描き、中心の花と同化して花の小ささを感じさせない。日向とは別の明るさ猫の目草 高木珱子雪解けの薄暗い湿地で、わずかな木漏れ日...

  11. スケートリンクでゴーカート

    山王大通りにあった「秋田スケートリンク」では、スケートシーズンが終わればゴーカートコースがオープンした。新聞広告 昭和四十六年(1971)● 東北ではまれに見る交通安全の一助にもと考え、近代的なゴーカートを開設いたましてから三周年、ご承知の通りゴーカートは老若男女を問わず楽しみと親しみを与えコースを存分に運転し、更には交通ルールを身につけることができると、大変好評を得ております。ぜひ一度おためしいただき...

  12. 友川カズキはコトバを越える

    ちまたでうわさの米国の動画共有サイト YouTube にて、いろいろと検索して遊んでいたら、八竜町(三種町)が生んだ鬼才、日本のオリジナル・パンカーとも称される、友川カズキ(旧かずき)の動画11本(06.11.01現在)を発見。[YouTube]search=Kazuki Tomokawa映画「IZO」の動画の一部に残酷シーンあり要注意。「ワルツ」は2003年の渋谷アピアでのライブから。「生きているって言ってみろ」「一切合切世も末だ」「私の花」は、1993...

  13. さようなら「赤バス」

    三月三十一日、秋田市交通局が六十五年の歴史に幕を下ろした。市交通局は、栗原源蔵(栗原組)の「秋田電車株式会社」を買収、電車七両、バス十六台を譲り受け、昭和十六年(1941)四月一日、秋田市交通課として誕生。市電は昭和四十年十二月三十一日の運行を最後に廃止。北高校前停留所 昭和三十年ころ市内大廻線・手形廻りのボンネットバスと、スラックスに長いコート姿の北高生。昭和二十六年・市内停留所秋田大橋を走る市営バ...