大島商会開業・明治三十五年
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旧大島商会店舗書籍広告・明治三十五年大島商会が開業して間もなく発行された書籍『秋田案内』に掲載された広告の一ページ。書籍よりも大きいため折りたたまれており、その裏表を大島商会の広告が占めている。長方形の枠にバランスよく収まるように、縦長にデフォルメさているものの、建物の特徴をよくとらえた錦絵めいた構成のイラスト。実際よりも奥行があるように遠近法で描かれた店内、当初はウインドウがあったと推定していた...
消えた「亀の湯」と雷風義塾の碑
秋田市亀ノ丁に戦後間もなく開湯した銭湯「亀の湯」が、南通りの道路拡幅を期に、従来の銭湯からの脱皮を図って「コミュニティ銭湯・亀の湯」ビルを建てたのは、今から約二十五年前。番台に代わってフロントを置き、水温の違う三つの浴槽、サウナ、コインランドリー、二階には入浴客が気軽に食事のできる割烹を開き、隣には広い駐車場も作った。まだ「健康ランド」的温泉施設の無かった時代、このような形式の銭湯は珍しく、オープ...
消える昭和・飲屋長屋・保戸野鉄砲町
06.03新国道沿い、秋田中央郵便局近くの、数人で満員になるほどの小さな飲屋が並ぶ長屋。官公庁が山王に移った昭和四十年代から営業していると思われる五軒の飲屋も、数年前から徐々に灯が消えはじめ、遅かれ早かれ消える運命ではあった。07.02取り壊された跡地をみると、猫のひたいのような、ほんとうに狭い敷地だったことを実感する。向い側(西側)の商店や飲屋は、長崎屋前から秋田中央郵便局前までの四車線化拡幅工事により消...
八橋名物「留り木」売店
秋田駅前「留り木」ネイガープロジェクトのヒロイン・ネイガーマイを演ずる、秋田市出身の元女子プロレスラー・宮本晶(旧姓福岡)の嫁ぎ先として知られる、秋田駅前の焼肉屋「留り木」。「留り木」といえば、八橋運動公園の県立体育館の下、今は砂場と遊具があるあたりにかつて存在した「留り木」売店のことをなつかしく思いだされる方も多いと思う。留り木売店があった場所夏休み中は八橋市民プールで泳いだあとの定番コース、ス...
お色気大作戦・超神ネイガーショー
ネイガーショーで唯一マイクを手に生声で演ずる(司会のトレビお姉さんを除いて)狂言回し役として、だじゃぐ組合班長のハン・カクサイ様の変わりに、同じく班長クラスの都会派・ゴンボホリー君が登場する機会が最近多い。ホリー君の「東京帰りのキザな田舎者」という設定は面白く、その標準語による語りも以前よりは随分こなれてきたが、ハン様による秋田弁の達者なマイクパフォーマンスにくらべると、やはり歴然の差があり不満が...
秋田一の高層楼・竹村呉服店
昭和二年・書籍広告嘉永六年(1853)の創業という大館の老舗呉服店「竹村呉服店」、のちの百貨店「正札竹村」が、ハイカラな高層店舗をオープンさせたのは、大正九年十月のこと。前年の大館大火で消失した街並に出現したルネッサンス様式の建物は、当時秋田県内では一番の高層建築で、開店するや近郷近在からは大勢の見物客が押し寄せた。木内の屋上展望棟、本金タワー、そしてまぼろしに終わった協働社タワーと、昭和三十年代から...
秋田生まれで神田の育ち・龍角散
「ゴホン!と言えば龍角散」のキャッチコピーでおなじみの、咳止め和漢薬「龍角散」。この薬、久保田藩の御典医・藤井玄淵により、文政年間に藩薬として創製されたと伝えられている。江戸末期、長崎に渡り蘭学を修めた、三代目・藤井正亭治が、藩主・佐竹義堯(よしたか)侯の喘息の持病を治すために、蘭医学の知識を加味して処方を改良。当時の処方成分が、化石動物の骨「竜骨」、インドネシア原産の植物・龍脳樹の樹脂が結晶化し...
オバQと不二家の蜜月時代
「週間少年サンデー」で連載されていた、藤子不二雄の漫画「オバケのQ太郎」がアニメ化されたのは昭和四十年(1965)の夏。TBS系、毎週日曜日夜七時半からの放送、東京ムービーによるモノクロ作品、提供は不二家だった。当時、秋田には民放はまだABS秋田放送(日テレ系)の一社のみであったが、TBS系の番組も多く、「オバケのQ太郎」も、TBSの本放送からまもなく放送が開始されている。昭和四十年・秋田放送タイムテーブルから日...