1. ラヂウム温泉と霊泉水・千秋公園

    勝平得之『千秋公園八景・松下門跡』昭和十二年千秋公園入口の坂を上った松下門跡の版画は、現在とさして変わらない戦前の風景。ただ、今はないものといえば、左手の鐘楼へと向かう階段の登り口に立てられた、バス停のよう立つ、丸く「温泉」の文字が書かれた赤い看板。赤い看板がある階段を上ったところに、大正初期、料理屋を兼ねた「ラヂウム温泉」が開業する。ラヂウム温泉 大正期『秋田市千秋公園鳥瞰図』(日本弘道会秋田市...

  2. 朝顔の底でパンダが笑ってる

    某ビルの共同トイレで小用を足しながら下を見ると、朝顔の底でタレ目のパンダが笑ってた。もともとの小便器の形状が朝顔の花に似ていたことから、男性用小便器のことを「朝顔」という。このタイプの磁器製目皿(排水穴に置く皿)、「顔にみえるモノ」シリーズとしては古典的なネタなのだが、壁のシミや天井の木目なんかが、顔にみえてしょうがないことがあるように、一度それがタレ目のパンダにみえると、もうそれにしかみえない。...

  3. 疋田家の三本松・広小路名物

    広小路西端から東を望む・明治末期秋田市広小路、現在のカトリック教会前のあたりに、「三本松」と呼ばれた樹木が、道路をふさぐようにそびえる姿が目を惹く、明治末期の風景。藩政時代の地図を照合すると、ちょうど三本松の辺りから、現在のカトリック教会にかけての一帯が、藩の家老・疋田家の広壮な邸宅で、通りの城郭側にお堀を配した東側と比べると、この区画だけ道幅が狭くなっている。明治元年『秋田城郭市内全図』より疋田...

  4. お堀に囲まれた洋館・秋田赤十字病院

    日本赤十字社秋田支部病院旧藩時代は兵具庫(武器庫)が並んでいた、周囲をお堀で囲まれる風致に恵まれた旧城地に、大正三年七月一日「日本赤十字社秋田支部病院」が開院する。これが初代の秋田赤十字病院であり、東北北海道地区で最初の赤十字病院だった。日本赤十字社が佐竹家所有の土地を市から無料で借り受け、明治大正に活躍し、東京駅や日本銀行の設計者として高名な辰野金吾に設計を依頼。辰野は県民会館の前身にあたる「秋...

  5. 梵天奉納祭・平成二十一年度

    梵天(ぼんでん)奉納祭秋田市広面字赤沼 太平山三吉神社里宮平成二十一年一月十七日奉納が始まる午前十時頃には雪も止み、青空も顔をのぞかせる好天だったが、奉納が終わった途端、雪が舞い始める。_________関連記事二〇世紀ひみつ基地 梵天売り・今昔二〇世紀ひみつ基地 梵天奉納・平成十七年度二〇世紀ひみつ基地 梵天は神の依代・平成十八年度二〇世紀ひみつ基地 平成二十年度・梵天奉納祭&なまはげ太鼓奉納...

  6. 札打ちの大喧嘩・レジャーとしての札打ち

    二十六番札所・當福寺一月十六日の深夜、日にちが変わって十七日は「札打ち」、正式名称「久保田三十三番札所巡礼」の日。今は自家用車を使い、順番もさして気にしない向きも多いが、以前は全行程を徒歩で必ず順番通りに巡礼した。厳冬の夜、一番札所の泉から、手形、広面、楢山、牛島、川口境、寺町を経て、三十三番の八橋まで、五時間から八時間をかけて歩く。とくに手形から楢山にかけては田んぼの畦道がつづき、吹雪になると雪...

  7. 雪車の芸者さん・冬の秋田風俗

    大正時代の絵葉書からこれからお座敷に出かけるところだろうか、雪車(そり)に乗る川反の芸者さんと、雪駄を手にした印半纏姿の車夫。秋田の人力車夫たちは降雪期になると雪車を押して客を運んだ。これはいわゆる「箱橇」(はこぞり)のことだが、戦前の記録をみると、「雪車」と書いて「そり」と読ませている。家庭用の箱橇と違う点は、乗り込みやすいように前方が開閉式なっており、人力車のように風雪を避ける幌が取り付けられ...

  8. ドーム屋根のモダン建築・秋田物産館

    秋田物産館(昭和初期の絵葉書より)大正十四年、秋田市土手長町中丁(現・中通三丁目)、現在の北都銀行本店営業部の地に、産業の振興を目的とした「秋田物産館」竣工。十月十五日のオープンの日、宮城・岩手における陸軍大演習統監を終た摂政宮(のちの昭和天皇)が物産館をご覧になった。左手前の建物が昭和六年竣工の秋田警察署、角を左折すると今の中央通りだが、まだ道幅が狭く、駅方向に直進すると十七連隊にぶつかる。昭和...

  9. 山王大通りの無人ホテルをポラロイドで

    旧三井アーバンホテル昭和63年(1988)山王大通りにオープンし、市内のビジネスホテル乱立による近年の競争激化により、平成18年(2006)に撤退した「三井アーバンホテル」の閉鎖された無人ビル。西隣で営業していたガソリンスタンドも、地下道工事の支障になるためか、中央道(地下道)が着工した頃に撤退したため、周辺は閑散とし、ホテル一階にはコンビニもあって、数年前の夜でも明るかった街並が夢だったかのように暗い。閑話...

  10. ホテルハワイの植物園・昭和40年代

    廃業した「ホテルハワイ」の創業者社長が、現在の「ホテルはくと」の地を、公売で秋田市から購入したとき、土地利用目的を「熱帯植物園」とし、市のほうでも便宜を図ったというが、結局は熱帯植物を配したホテルハワイが開業(詳細は下記関連記事に)。ホテル建設を決定する以前には、同地に集合住宅を建設する計画もあって、それを予告する新聞広告を出している。熱帯植物園への夢は形を変えて、昭和46年4月、大森山に温室を備え...

  11. ホテルハワイの廃業とホテル街となった広小路

    昭和42年(1967)9月、通町橋のたもと「ホテルはくと」の地で、秋田のバーチャルハワイとして誕生した「ホテルハワイ」全店が、この元日で営業を停止した。市内のビジネスホテル乱立を考えれば、老朽化した施設で、今までよく営業していたと思うが、多少は予想していたとしても、年末に突然解雇を言い渡された従業員にとっては青天の霹靂。左にホテルハワイ駅前店 09.01かつては秋田の中心商店街だった広小路も、近年はホテル街の...

  12. 慈愛と異様・無名の現代アート

    09.01秋田市山王、秋田消防署脇の遊歩道にある、ハイハイする赤ん坊をかたどったブロンズ像の冬支度。その風体がすさまじくビンボー臭い。胴体をタオルでぐるぐる巻きにした上に、コンビニ袋で包み紐で縛り、頭は手ぬぐいで頬被りし、これもコンビニ袋をかぶせるという念の入りよう。頭のボリュームからして、ひょっとして毛糸の帽子の上に頬被りしているのかも。命のない彫像に感情移入し、防寒対策をほどこすという慈愛の行為は...

  13. 城下の要害「鷹の松」今昔

    ●要害としての「鷹の松」土手長町通りを千秋トンネル方向に北進し、通町橋前を過ぎて間もなく、高層集合住宅の建ち並ぶ旧鷹匠町(現・秋田市千秋矢留町)のマンション街を背景に、行く手をさえぎるかのように「鷹の松」がその姿を現す。鷹の松 08.11水戸から国替された佐竹義宣公が、久保田の神明山、今の千秋公園に築城、町割りの一環として旭川を大改修し、掘替えの際に出た土で旭川の東岸に土手を築いた際に植えられた、樹齢三...

  14. 謹賀新年・平成二十一年元旦

    二丁目小路(現・山王大通り)・當福寺前の市電 1960s山王大通り・當福寺前 08.05昨年中は「二〇世紀ひみつ基地」を、ご閲覧ならびにコメントを頂きありがとうございました。おかげさまでブログを開設して五回目の新年を迎えることができました。本年もご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。平成二十一年 元旦...