-
パッケージでたどる明星チャルメラ45周年
2ビートルズが初来日した昭和41年(1966)、明星食品から「明星チャルメラ」(醤油味)が発売される。都内の評判店を食べ歩き、神田の「粋香苑」という店のラーメンをモデルに開発した即席麺であった。その生誕45年目を前にして、内容およびパッケージが大幅にリニューアルされた。まず最初に目につくのが誕生以来おなじみのキャラクター「チャルメラおじさん」の変貌ぶり。鼻の赤らみが消え、無精髭がきれいに剃られ、草履をスニー...
-
茎紅(あか)く花より紅く断腸花
秋海棠・雄花秋海棠(しゅうかいどう)シュウカイドウ科・ベゴニア属・多年草原産地・中国・マレー半島漢語の原名「秋海棠」をそのままに、シュウカイドウと音読して和名とした。江戸時代、中国より園芸用として持ち込まれ、次第に野生化し定着する。薄紅色のうつむいた花の形姿が、春に薄紅色でうつむいた花をつける、バラ科の落葉低木「海棠」に似ることから、秋の海棠の意でこの名がつけられた。秋海棠・雌花別名「断腸花」(だ...
-
秋田のソウルフード「肉鍋」の老舗三店
かつて秋田駅前に存在した伝説的駅前食堂「食堂まんぷく」(通称・まんぷく食堂)の人気メニューといえば、年季の入ったアルミ製一人用鍋で食べる「肉鍋」。戦後まもなくにオープンしたこの店が「肉鍋」を出し始めたのは昭和30年代前後のことらしい。それ以前の一人鍋は「豆腐鍋」で、季節によってはそれに八郎潟産のチカなどの小魚を加えて出したものという。20年代はまだ豚肉も贅沢品だったのだろう。新聞広告・昭和52年豆腐に長...
-
僕らの奇妙な宇宙船・金照寺山に謎の塔
▲2007.04 数年前の春先、金照寺山の「三十三観音」が並ぶ山道を歩いていたとき、民家裏手の笹藪のなかに建つ、奇妙なカタチをした物体に目が釘付けになった。その瞬間、この場所で遊んだ遠い日の記憶が少しずつ蘇りはじめた。 今は薄汚れて頭頂の金属部分は朽ち果て、内部のコンクリート骨格があらわになっているが、かつては白いドームと金色に輝くアンテナを備えて、山間の空き地に場違いのように存在した奇妙な物体を僕らは「...
-
金照寺山「三十三観音巡礼」札打ちの山
2010.06金照寺山にニセアカシアの甘い香りが漂う初夏の頃、山道に点在する観音さんの石像が、ある日を境に真っ白なお札におおわれるのが、子ども心にとても不可思議だった。今でこそ巡礼者も少なく、お札の数は少ないが、当時は石像とセットで建てられた御詠歌の碑もろとも、白い衣装を着たかのように、観音さんは沢山のお札に埋めつくされていた。2010.06七つ森の登り口近くに建つ「四恩之碑」。隷書体の題字は土手長町で医院を開...
-
大町二丁目交差点・二丁目小路変遷
昭和七年頃の二丁目小路(現・山王大通り)と大町通りが交わる地点。カメラマンは大町二丁目に立ち三丁目方向にレンズを向けている。左手に「木内雑貨店」大町支店。この場所に木内の支店があったのは、昭和六年頃から二十年前後にかけての短期間。その裏(南側)に木像三階建ての「三浦旅館」が建つ。左端の電柱に「大町停留所」の文字。昭和六年、秋田駅前~大町二丁目間に路面電車開通。当時はまだ市電ではなく、土建屋の栗原源...
-
楢山「石敢當」多発ストリート
街角の文化財・魔除けの「石敢當」その八楢山の築山小学校旧校門(現グランド)から西に進み、登町に突き当たる通りは、四基の石敢當(いしがんとう)が集中する石敢當多発ストリート。まずは東から、前回、シリーズその七「医王院前町の石敢當・ブロック塀と一心同体」で紹介した物件。所在地・楢山本町(旧楢山医王院前町)表記・敢當石 高さ・約31cm撮影・2006.07次に、その西隣、かき氷と大福餅の名店「斎藤もちや」のある小...