「菊谷小路」という不可解
秋田市・歴史の小路(一)

勝平得之『雪の街』昭和七年
勝平得之の「雪の街」は、戦前の通町と菊谷小路入口の風情を描いた傑作だ。
ボタ雪の降りしきるなか、一仕事終えたのだろうか、酒屋の前に馬橇を止めて馬方が店先に入っていく。
この絵は、その昔、酒屋の前で馬を止め、入り浸りになっていた大酒飲みの馬方がおり、主人が変わっても馬は酒屋の前で立ち止まる癖がつき、押しても引いても動かなかったという逸話からヒントを得て描かれたという。
中央に菊谷小路の愛称起源となった造り酒屋「菊屋酒店」、左手の「タバコ」と「婦人小間物」の看板がみえる店は「亀谷雑貨店」だが、今と比べると菊谷小路の道巾がやけに狭い。
その理由は……。大東亜戦争末期、災害や空襲に備えて建て物の強制疎開が始まり、菊谷小路では「菊屋酒店」のある東側一軒分を取り壊すこととなり、小路の突当りまで、約五百メートルの家宅が一週間にして消滅し、道幅が広げられたという。そのため西側には戦前からの古い商店が残っているが、東側には無い。

現在の菊谷小路
左手にみえるベージュ色の二階建てが現在の「亀谷雑貨店」。戦前と同じく「タバコ」と「婦人小間物」を商っている。
道幅は、もはや「小路」ではなく、「通り」と呼ぶほうが違和感がないが、「菊谷小路」という愛称には、藩政期からの歴史と土地の記憶が深く刻まれている。
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「菊屋酒店」は明暦年間、久保田町中通町(保戸野通町)に創業、姓は菊谷、屋号を「菊屋」と号す。
清酒「菊水」のほかに白酒も醸造し「菊屋の白酒」として親しまれた。「菊水」は大正二年、秋田酒造組合品評会で一等賞、昭和七年、第十三回全国清酒品評会で優等賞を受賞するなど、高い声価を得ている。

清酒・菊水ラベル

勝平得之『雪の街』昭和七年
勝平得之の「雪の街」は、戦前の通町と菊谷小路入口の風情を描いた傑作だ。
ボタ雪の降りしきるなか、一仕事終えたのだろうか、酒屋の前に馬橇を止めて馬方が店先に入っていく。
この絵は、その昔、酒屋の前で馬を止め、入り浸りになっていた大酒飲みの馬方がおり、主人が変わっても馬は酒屋の前で立ち止まる癖がつき、押しても引いても動かなかったという逸話からヒントを得て描かれたという。
中央に菊谷小路の愛称起源となった造り酒屋「菊屋酒店」、左手の「タバコ」と「婦人小間物」の看板がみえる店は「亀谷雑貨店」だが、今と比べると菊谷小路の道巾がやけに狭い。
その理由は……。大東亜戦争末期、災害や空襲に備えて建て物の強制疎開が始まり、菊谷小路では「菊屋酒店」のある東側一軒分を取り壊すこととなり、小路の突当りまで、約五百メートルの家宅が一週間にして消滅し、道幅が広げられたという。そのため西側には戦前からの古い商店が残っているが、東側には無い。

現在の菊谷小路
左手にみえるベージュ色の二階建てが現在の「亀谷雑貨店」。戦前と同じく「タバコ」と「婦人小間物」を商っている。
道幅は、もはや「小路」ではなく、「通り」と呼ぶほうが違和感がないが、「菊谷小路」という愛称には、藩政期からの歴史と土地の記憶が深く刻まれている。
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「菊屋酒店」は明暦年間、久保田町中通町(保戸野通町)に創業、姓は菊谷、屋号を「菊屋」と号す。
清酒「菊水」のほかに白酒も醸造し「菊屋の白酒」として親しまれた。「菊水」は大正二年、秋田酒造組合品評会で一等賞、昭和七年、第十三回全国清酒品評会で優等賞を受賞するなど、高い声価を得ている。

清酒・菊水ラベル