氷水屋と銭湯と・消える昭和

川端たぬき

季節外れな話題だが、秋田市内で営業していた昔ながらの氷水屋が、この数年間に次々と店を閉じた。その主な理由は経営者の高齢化と後継者の不在。

かき氷
▲「佐々木商店」2004.07 三皇祭の日

夏期以外は大判焼き・鯛焼きを商う、牛島商店街の「佐々木商店」通称・牛島のババの店。

切妻屋根の町家建築に、かき氷の氷削機および大判焼機による製造工程が外から見える出窓を設けた古典的スタイルの、大正・昭和の風情が色濃く残る店であった。

かき氷
▲「佐々木商店」2004.07 三皇祭の日

かき氷
▲廃業後、三皇祭の日に「岡崎製氷」が店頭を借りて臨時出店 2009.07

内風呂率が低く電気冷蔵庫がまだ贅沢品だった時代、銭湯の近くで営業する氷水屋が多く、風呂上がりにかき氷で涼味を楽しむ客で繁盛した。

牛島商店街の場合、「佐々木商店」から北へ1分ほど歩いた「三皇神社里宮」の近くに「三皇の湯」、さらに3分ほど北へ進み、太平川橋を越えた左手に「牛の湯」があった。

かき氷
▲「竹内商店」2008.08 竿燈祭りの夜

大町三丁目「すずらん通り」の突き当たりに近い「竹内商店」も、「佐々木商店」と同様に、店頭で製造工程を見せる出窓がある、涼しくなると大判焼・おやきを商う店だったが、この数年間はカーテンを閉ざしたまま。(2017.04 大判焼きの営業を確認、不定期開店とのこと)

昭和8年頃の地図にも名がみえる「竹内商店」はもともと菓子屋で、以前は自家製のパンなども売っていた。

「竹内商店」の斜め向かい、柳町の角地にあった銭湯「松の湯」は、古くは「柳の湯」の名で、場所柄、川反の芸者さんが常連客だったという。「松の湯」はのちに「秋田ピカデリー」南側の田中町に移転。

かき氷
▲「竹内商店」2008.08 竿燈祭りの夜

すずらん通り
すずらん通り 2016.11

手前に「竹内商店」、黄色い日除けテントの「美容室イク」、その奥に「土田果物店」。これらの店も廃業して久しい。

「すずらん通り」の突き当たりには、昭和49(1974)年まで映画館「秋田ピカデリー」が存在し、川反方向から延びる「すずらん通り」はかつて、昼夜を通して人通りの多い商店街だったが、近年は古くからの店が次々に店を閉じて、ずいぶん寂しくなった。

「竹内商店」の東隣、今は空き地になっている場所に70年代まであった中華料理「王芳」は、田中町の「松の湯」北隣を経て、秋田県庁の裏側、山王四丁目に移転し、大町五丁目「第二NKビル」入口左側に大町支店をオープン。料理はボリューム満点で安く、セロリを使った炒飯が癖になる味で、水餃子とセットでよく食べたものだが、平成20(2008)年10月頃に閉店。

斉藤もちや
▲斉藤もちや 2005.07

秋田市楢山本町で昭和10(1935)年創業の老舗「斉藤もちや」。今年(2016)の春頃に廃業。

夏期はかき氷を商い、真向かいに秋田市最後の銭湯「星の湯」がある。

かき氷屋跡
▲秋元商店跡 2004.05

ここからは遠い記憶の彼方にある氷水屋。

楢山愛宕下と牛島東の境界を東西に延びる新屋敷(しんやしき)小路にあって、夏はかき氷をやっていた駄菓子屋「秋元商店」。建物の右手にかき氷の製造工程を見せたとおぼしき小窓が残る。

新屋敷小路を東に進むと金照閣踏切、振り向いて西に進み、突き当たりを左折すると、冒頭の「佐々木商店」に到る。

銭湯跡
▲愛宕湯跡 2004.05

「秋元商店」の西隣のアパートは「愛宕湯」跡。所在地名は牛島だが隣町である愛宕下の「愛宕」を冠した銭湯は、70年代後半頃に廃業。子どもの頃に通っていたなつかしい銭湯だ。

黒澤家住宅
▲「黒澤家住宅」長屋門・東根小屋町(中通三丁目)

金照寺山・一つ森公園に移築された上級武家屋敷「黒澤家住宅」が、「たまご公園」の南側、東根小屋町(現・中通三丁目)にあった時代、長屋門形式の表門の両側に店舗を増築して貸していたが、左手の駄菓子屋のような店が氷水屋をやっていた記憶がある。画像右手は「佐々木表具所」。

至近距離にあった銭湯は「黒澤家住宅」から中通小学校方向に向かい、十字路を右折した池永小路の「鶴の湯」。徒歩1分の距離。

「黒澤家住宅」跡地には今、11階建てのマンション「パークハイツ中通」が建っている。

旧黒澤家住宅(旧所在 秋田県秋田市中通三丁目) 表門 文化遺産オンライン

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