「松坂古書店」店主殺人事件と二つの店名の理由
▼さようなら「松坂古書店」
一昨年(2017)11月末日、秋田市で最古の歴史を有する古本屋「松坂古書店」南通り店が静かに店を閉じた。
▲「松坂古書店」南通り店跡 2019.04
▲平成2(1990)年
平成2(1990)年時点の店舗をあげると、すずらん通り本店・南通り店・手形東通り店・秋田ワシントンホテル(現・イーホテル秋田)2F AD店の4店。80年代には秋田大学の近くに手形山崎店も。
▲「松坂古書店」すずらん通り本店 2004.03
70年代から足しげく通い、想い出が詰まった すずらん通り本店も、今(2019)から9年ほど前に閉店。
「松坂古書店」と「みしま書房」の看板が掲げられた外観は一見、別々の店のように見えるが、内部はつながっており(初期は別個の店)、とりわけて郷土資料が充実し、価格も良心的。思わぬ掘り出し物に遭遇する確率も高かった。
エロ系も豊富で、80年代のビニ本ブームのときは、ビニールでパッキングされた、きわどいエロ写真集が店舗の中心を大きく占めていた。
図書館でお見かけすることが多かった、古書店主人を絵に描いたように無愛想で学者肌の御主人・三島亮氏が亡くなってから、もう20数年になる。
▼古書店「松坂屋」店主殺人事件
▲明治38(1905)年 新聞広告
「松坂古書店」のルーツである古書店「松坂屋」は明治後半、秋田市茶町菊ノ丁(現・大町二丁目)に開業。その後、隣町の茶町扇ノ丁(現・大町三丁目)に移転。
昭和33(1958)年12月1日「松坂屋」店主・松坂壮一郎氏が、顔なじみの青年に絞殺される事件が発生。現金と貯金通帳を奪って逃亡した犯人は5日後にスピード逮捕された。
秋田市のド真ン中で殺人事件
古本屋絞殺される
物とりの線で鋭意捜査一日午前十時ごろ秋田市茶町扇ノ丁、松坂屋古書店経営主の松坂壮一郎さん(六五)が店内のタタキにあおむけになって死んでいるのを出勤した店員が発見、秋田署に届出た。同署ではただちに現場に急行、検視の結果首に麻ヒモのようなもので絞められたあとがあるため他殺と断定、捜査を開始した。
同古書店は秋田市の中央部、市電路線に面したところで店は約十六平方メートルだが、市内でも名のきこえたしにせ。
‥‥後略‥‥
昭和33(1958)年12月1日付『秋田魁新報』
一方、のちに「松坂屋」店主となる三島亮氏(本名・三島亮吉 1921-1996)は、母校の秋田工業高校で教師をしていた昭和24(1949)年、GHQによるレッドパージ(赤狩り)により教職を追われ、やむなく古本屋に転身。
古本屋を始めるにあたり、三島氏が弟子入りしたのが「松坂屋」店主・松坂壮一郎氏。当初は「松坂屋」の書棚の一角に自身の蔵書を置かせて貰っていた。それから数年後「松坂屋」の隣町、茶町菊ノ丁に古書店「みしま書房」を独立開業する。
▲昭和34(1959)年
殺人事件後、遺族の意向を受け、師弟関係にあたり、故人と親交の深かった三島氏が松坂氏の跡を継ぎ「松坂屋」の経営者に納まることとなるが、氏は店名を変更することなく、歴史ある古書店の名を後世に残すことを決意。この時点で自身が創業した「みしま書房」と、跡を継いだ「松坂屋」の両店を経営することに。
のちに店名を「松坂屋」から「屋」を外して「松坂古書店」と改め「みしま書房」の名は主に出版社名として使われるようになる。
▲「松坂屋」が入居していた雑居ビル
事件当時「松坂屋」が入っていた茶町扇ノ丁(現・大町三丁目)の建物は、県庁前通り(現・山王大通り)沿い、お茶の「繁田園」と「三和銀行」秋田支店(現・ミタビル)にはさまれた二階建て雑居ビル。他にふとん店と薬局が入居。
ビルの東端(上掲画像左端)、間口4.2メートル・奥行5.5メートルの小さな店舗にもかかわらず、公務員の初任給(基本給)が1万円ほどの事件当時、1日の売上げが2〜3万円に上ることもあったというほど、古本が飛ぶように売れた時代で、そのあたりの状況を知った上での犯行だった。
▲「松坂屋」が入居した雑居ビル跡 2018.08
雑居ビルが解体された跡地の西側に「山一証券秋田支店」が新築移転。同社倒産後解体され、現在(2019)同地に「大和リビング」秋田営業所がある。
▲昭和33(1958)年 松坂壮一郎氏経営時代
▲昭和32(1957)年 松坂壮一郎氏経営時代
松坂壮一郎氏は古典芸能に明るく、古書においてもそれを得意分野としていた。
▼店舗火災・市立図書館「三島文庫」出版社「みしま書房」
事件から数年後、入居する雑居ビルの解体を前にして、茶町から すずらん通りの突き当たり、洋画専門館「秋田ピカデリー劇場」前に移転。銭湯「松の湯」跡に建てられた木造二階建て雑居ビルに、当初は魚屋、薬局、古本屋が入居。
昭和58(1983)年11月26日「松坂古書店」に隣接する薬局の二階から出火、ビル二階部分を焼失。
一階店舗の書籍に加え、貴重な古文書・郷土資料など、三島氏の蔵書を含む約6千冊が消火活動により水浸しになり、一部を残してやむなく廃棄される。
永い年月をかけて収集した資料を一瞬にして失った三島氏の落胆ぶりは本当に気の毒だった。
火災をさかのぼる、同年10月3日「秋田市立中央図書館 明徳館」オープン。その開館を前にして、三島氏は蔵書から郷土資料を中心とした 4,445点を寄贈、「三島文庫」と命名される。
偶然にしては出来すぎた、絶妙なタイミングで行われた寄贈により、資料の多くが火災をまぬがれたことは不幸中の幸いであった。
「三島文庫」寄贈と火災の前年、昭和57(1982)年「秋田市文化団体連盟章」受章。
文化団体連盟章
‥‥前略‥‥
〔学芸〕三島亮さん(60歳)
郷土史関係を中心にした数々の貴重な本を出版するとともに、川柳選者としても、川柳愛好者の指導、育成に努めました。
『広報あきた』No.874- 1982-02-10 - より
川柳関連の肩書は、現代川柳作家連盟会員、川柳あすなろ会顧問、川柳研究いかり主宰、川柳波紋社主宰など。
昭和42(1967)年5月に出版した『八郎潟近世漁業史料』(半田市太郎/編) を手始めに「みしま書房」名義で始めた出版事業は、昭和50年代をピークに平成4(1992)年まで続いた。
「秋田県立図書館」で「みしま書房」を検索すると該当件数は91件に及ぶが、一部に類似名出版社の書籍が混入している模様。
▲「松坂古書店」すずらん通り本店 2004.03
▲「松坂古書店」すずらん通り本店跡 2019.05
すずらん通りの突き当たり、洋画専門館「秋田ピカデリー劇場」跡地の一角に、最近「セブン-イレブン」がオープンした。
▲在りし日の「松坂古書店」南通り店 2017.07
最後に残った南通り店のオープンは昭和57(1982)年頃。建物はもともと、かつて斜め向かいにあった家電・家具月賦販売「緑屋信販」の別館「緑屋住宅設備」として建てられたもので、数年前まで二階に社交ダンスのスタジオが入っていた。