三丁目大蒜亭焼失す
九月二十日午後九時ころ、秋田市大町三丁目、赤れんが館(旧秋田銀行本店)向いの「大蒜亭」から出火し、木造二階建ての店舗を全焼した。

「三丁目ラーメン」を改装して「大蒜亭」になったのは1980年前後のことだったろうか。年輩の人たちには昔の名前の方が通りがよい。夜遅くまでやっているため川反帰りの酔客が多い店だった。
「三丁目ラーメン」の時代、焼き物を担当していたおじいさんがいて、この人の作る焼肉のタレは他にはない絶品だった。薄汚れた店が改装され名前が変わったとき、長年使い込まれた調理用具までも新調したため、一時期、味が落ちたことを憶えている。フライパンひとつがこんなに顕著に味覚に反映するとは思ってもみなかった。
そのころ学校帰りに座敷で遊んでいた二人の子供たちは、いつの間にか成長し、店の手伝いをはじめ、やがて嫁いだ女の子は子供連れで姿をみせるようになった。
ずいぶん長いこと寄ることもなかったが、焼失の報を聞いてから、無性にこの店の「ホルモン炒め定食」が喰いたくなってきた。早期の再建を祈る。

「三丁目ラーメン」を改装して「大蒜亭」になったのは1980年前後のことだったろうか。年輩の人たちには昔の名前の方が通りがよい。夜遅くまでやっているため川反帰りの酔客が多い店だった。
「三丁目ラーメン」の時代、焼き物を担当していたおじいさんがいて、この人の作る焼肉のタレは他にはない絶品だった。薄汚れた店が改装され名前が変わったとき、長年使い込まれた調理用具までも新調したため、一時期、味が落ちたことを憶えている。フライパンひとつがこんなに顕著に味覚に反映するとは思ってもみなかった。
そのころ学校帰りに座敷で遊んでいた二人の子供たちは、いつの間にか成長し、店の手伝いをはじめ、やがて嫁いだ女の子は子供連れで姿をみせるようになった。
ずいぶん長いこと寄ることもなかったが、焼失の報を聞いてから、無性にこの店の「ホルモン炒め定食」が喰いたくなってきた。早期の再建を祈る。