1984 秋田駅前「エスポワール緑屋」オープン
▲2020.05
2020(令和2)年2月、秋田駅前「緑屋ビル」の土地・建物が「緑屋」創業家の手を離れ、東京の不動産・建設業「ベストウェイ」に売却された。
1968(昭和43)年「やまじんビル」としてオープン、1972(昭和47)年に家具・家電月賦販売の「緑屋」へと売却され、その後、裏側へ上階へと増殖を重ねた変形建築「緑屋ビル」と周辺の変遷については、下記関連記事を参照のこと。
さて、今回の話題は「緑屋ビル」の増築部分に誕生した「エスポワール緑屋」について。
▲「緑屋ビル」と手前に「金萬駐車場」左に「アゴラ広場」
緑色にペインティングされた「緑屋ビル」の裏手(西側)長屋状の建物が増築部分。当初は家具類が所狭しと陳列され、広小路側にも出入口があって、正面出入口へと通り抜けることができた。
1983(昭和58)年、増築部分の西側に軒を連ねていた、1948(昭和23)年からつづく商店街「金座街」が解体され、その跡地に1984(昭和59)年4月、買物広場(アゴラ広場)とバス停広場が竣工する。上掲画像、碁盤目状レンガ色部分がアゴラ広場。
アゴラ広場のオープンに合わせて「緑屋ビル」増築部分を改築してテナントを募り、1984(昭和59)年6月24日、ファッションコミュニティ「エスポワール緑屋」としてリニューアルオープン。エスポワールはフランス語で“希望・期待”を意味する。
▲新聞広告
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ファッションコミュニティ「エスポワール緑屋」
本日朝10時、衝撃的にオープンきょう、あなたはスポーツですか?
それとも・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
エスポワールでお会いしますか。インショップでお買い上げに、ジロー特製手づくりフランスパンをプレゼント。
ごあいさつ
オープンを断念せざるを得ないような、何度かの危機に直面しましたが、大勢の皆様の励ましの言葉を頼りに開店にこぎつけました。本当にありがとうございました。難産の子は育つ・・・・・・を信じて、数年後にやってくるより大きな北地区開発へ向けて、今日から再びスタートを切ります。よろしくご声援下さい。
緑屋株式会社 代表取締役社長・小松完治
「緑屋ビル」の増築部分は秋田駅前中央地区再開発区域との境界にあって、目隠しになっていた金座街の木造建築が解体されると、薄汚いトタン張りの壁面が現れる。そのままでは景観を損ね、せっかくの再開発も台無し。
「緑屋」増築部分のリニューアルに際して、再開発組合から「緑屋」に対して、それなりの助成金が支払われてしかるべき事案ではあるが、上掲の挨拶文にある「エスポワール緑屋」の “オープンを断念せざるを得ないような、何度かの危機” とは、再開発組合と「緑屋」との、リニューアルにまつわるいざこざが要因だったのかも知れない。
同じく挨拶文に “数年後にやってくるより大きな北地区開発へ向けて、今日から再びスタートを切ります” とあるように、「緑屋ビル」を解体し、単独で地下1階、地上8階建てビルを新築する予定だったが計画は頓挫。同じくビル建設を計画していた、隣接する金萬グループの土地(現・金萬駐車場)とともに、秋田駅前北地区再開発計画はストップしてしまう。
▲「エスポワール緑屋」テナント
70〜80年代の不良少年・少女が憧れた、ドクロマークでおなじみ、原宿発の50'sファッション・ブランド「クリームソーダ」が入居している。
“原宿を創った男” と称される「クリームソーダ」創始者の山崎眞行(1945〜2013)は、原宿ストリートカルチャー創世記の中心人物。原宿キャットストリートに建造したビル・ピンクドラゴンは若年層を中心に、修学旅行の中・高生らでにぎわい、1日で1千万円を売り上げたという。
昭和56(1981)年「クリームソーダ」のスタッフで結成されたロカビリーバンド・ブラック・キャッツがメジャーデビュー。デビュー後も変わらず店員として働いていたため、メンバーに会うことを目的に、各地からファンが集まった。
1985(昭和60)年に出版された山崎氏のサクセスストーリー『原宿ゴールドラッシュ』(森永博志著) を原作とした東映映画『ゴールドラッシュ』が、大友康平の主演で1990(平成2)年に公開された。
下記関連リンク先のYouTubeで、全盛期の店内などの映像が視聴できるので、興味のある方はどうぞ。
- 関連リンク
- 50sロカビリーブームの始まり。原宿〈PINK DRAGON〉カルチャーの震源地へ
- 原宿「クリームソーダ」と「ピンクドラゴン」洗練されたロカビリースタイルの秘密
- ブラック・キャッツ誕生!原宿クリームソーダから生まれた甘く切ないロカビリー
- ブラック・キャッツの最高峰!ゴーゴーズとの全米ツアーから生まれた「HEAT WAVE」
- 山崎眞行 × 増子直純 (怒髪天) 対談 2006
- R.I.P.山崎眞行 ハイファイ堂
- 関連YouTube
- クリームソーダ 原宿 - YouTube
- 山崎眞行 - YouTube - YouTube
- ブラック・キャッツ - YouTube - YouTube
ファッションコミュニティというキャッチフレーズの通り、初期は洋服店が占めていたが長続きせず、のちにカルチャー系や飲食店など、さまざまな業種が入居。
- 「エスポワール緑屋」オープン以降に入居したテナントの一部
- 1984(昭和59)年12月 中古レコード・輸入レコード「ジェームス」(2F)
- 1988(昭和63)年8月 ビリヤード「マンハッタンクラブ」駅前店 (2F)
- 1991(平成3)年頃「アゴラ歯科」「サロンドマキシム」「アメリカンビリヤード」「シンデレラ」
- 1997年以降
- 駅前留学「NOVA」
- Hip-hop ware & Street ware「M・T・J」
- 「秋田チケット」
- Cafe&Bar「Popcorn」
- フリー麻雀「ロンロン」
- 炭火串焼 「げんき屋」
▲2013.06
▲2022.02
▲2014.10
小さな階段の向こう、少し高くなっているスペースが「緑屋ビル」の増築部分、つまりかつての「エスポワール緑屋」。突き当たりの階段を上ると、撮影時点、ビリヤード台・全自動雀卓・卓球台がある「遊間専科アソヴェ」(緑屋直営) があったが売却後に封鎖。上掲画像に写るリサイクルショップ「グリーンライフ」は現在(2022年)も営業している。
▲2004.03 「エスポワール緑屋」広小路側
広小路側に金座街と隣接して、かつて存在した「浅利旅館・浅利食堂」の跡地に「緑屋ビル」が増築され、さらに改築後「エスポワール緑屋」に。東隣には「ゼンオンビル」「美光堂」と並ぶ。
上掲画像撮影時点で、のちに「秋田チケット」が入るスペースに、駅前留学「NOVA」の看板。その左隣の看板は、Hip-hop ware & Street ware「M・T・J」。
▲2012.06
▲2012.09
▲2014.11
上掲画像、看板が見える「フリー麻雀ロンロン 」は、2015(平成27)年、新国道沿いの泉南一丁目に移転。
▲2016.06
▲2021.04 右端に2階に続く出入口 現在は閉鎖
▲2021.07
▲2020.02
▲2020.10
▲2020.10
▲2022.05
2021(令和3)年9月、上掲画像右手、金券の老舗「秋田チケット」駅前店が閉店、駅裏のアルヴェ店に統合。
「緑屋ビル」増築部分に「エスポワール緑屋」がオープンして40年弱。現在(2022)は数店の飲食店のみとなった。
ちなみに「緑屋ビル」本体部分のテナントは以下の通り
1F リサイクルショップ「グリーンガーデン」「秋田きりたんぽ屋」「さかなや道場」(河辺ドライブイン 秋田駅前店併設)
2F 個室居酒屋「秋田の蔵」×「肉バル SHINGETSU」
3F 「カラオケ まねきねこ 」秋田駅前店
一時タイトー直営のゲームセンターが入りましたよね。初代ストリートファイターの特殊なアップライト筐体(ボタンを押す強さで技の強さが決まる)があったのを覚えています。