八橋公園のクマは十七連隊の朝鮮みやげ
2022年8月26日、当ブログの記事「ドトリバ踏切のひみつ・金照寺山麓防空壕」へのアクセス数が急上昇。踏切事故でも発生したのかと思いネットをチェックすると、金照寺山の麓、JR羽越線土取場(ドトリバ)踏切近くで熊が目撃されたという。とうとうこんな市街地まで出没するようになったのか。
1902(明治35)年に開通した、奥羽線の工事で分断された金照寺山の裏山・一つ森公園の駐車場では、2020年年4月、2頭の熊が目撃されている。
2020年年6月、千秋公園本丸で “熊のような動物” が目撃されているが、どうやらこちらは他の動物の誤認だったようだ。
熊の出没ににあやかって、というわけではないが、今回は大正初期に秋田市の八橋公園で飼育され、子供らの人気者となった熊のお話しを。
▼八橋公園の熊の絵葉書
戦前に秋田市で発行された観光絵葉書に「(秋田)八橋公園内熊」と題されたものがある。市内の名所旧跡・街並などの数枚セットで、主に観光客向けに販売された絵葉書のなかの一枚だ。
飼育員が手にするパンのようなエサを、立ち上がっておねだりする熊。熊を拘束する首輪や鎖は見当たらない。
絵葉書の原版とおぼしき写真が、動物園関連の資料だったか、秋田市発行と記憶している書籍に掲載され、解説に「写真は八橋公園内で飼育された熊だが、詳しい資料は残っていない」とあった。
所轄する官庁(この場合は秋田市役所)に関連資料が残っていなくとも、当時の地元新聞には「八橋公園の熊」に関する数々のエピソードが掲載されている。
▼八橋公園の熊は朝鮮みやげ
熊の出生地は朝鮮半島。現在の北朝鮮にあたる、羅南での数年間におよぶ朝鮮守備勤務を終えた、秋田歩兵第十七連隊が同地から連れ帰り、秋田市に寄贈。そのため新聞記事には “朝鮮熊” とも記述されている。
“朝鮮熊” といっても、朝鮮に固有種が分布しているわけではなく、同地に生息するのは、日本のツキノワグマやヒグマと同種で、秋田にやって来たのはツキノワグマだ。
消化器系の万能薬として名高く、高額で取引される熊の胆のう・熊胆(くまのい)を得るための乱獲により、朝鮮半島では生息数が激減、現在は絶滅の危機にあるという。
韓国のツキノワグマ
韓国におけるツキノワグマの生息数は,現在30~40頭程度と推測されています。しかも国内に散らばるいくつかの国立公園に分散している総数であるため,遺伝的な浮動などが起こる危険性なども加味すると,将来的に健全な個体群を維持するためには,かなり危機的な状況にあるといえるようです。
ツキノワグマは,韓民族の母と考えられており,したがってクマの胆嚢のみにとどまらず,肉も含めたクマすべてに対する信仰に近い需要は,きわめて大きいものがあります。戦争などによる生息環境の質の低下と併せて,密猟の問題は深刻で,現在の憂うべき状況を招いたと考えられています。現在,韓国産の生きた野生のツキノワグマは,日本円で4000万円で取り引きされるという話も聞きました。「韓国のツキノワグマ」より引用
どのような経緯で十七連隊が熊を入手したのかは不明だが、さして珍しくもないツキノワグマを、わざわざ手間暇かけて連れ帰るのは随分と馬鹿げたことで、連隊が購入したものとは考えられない。
朝鮮半島に派兵された陸軍は、各地で電気・水道網の敷設など、インフラ整備にも従事している。朝鮮では古来から珍重された熊は、それらに対する地元からの返礼、もしくは何らかの贈りものだったのかも知れない。
以下、時系列に沿って関連新聞記事を引用。
◎熊の議案
我が連隊の朝鮮より帰還する際一匹の熊を記念として秋田市に寄付すべき由(よし)申込みありしを以(もっ)て 一昨日の市参事会にて協議せしに 一ヶ年の飼育料約七十円を要する由(よし)にて 追って本会の議題となるべく 本案通過の時には八橋公園に檻を拵えて飼養する筈(はず)なりと云うが 熊の議案は珍しき案と謂(い)うべし
大正3年4月20日付『秋田魁新報』より
◎お土産の熊
連隊より当市にお土産にさるゝ朝鮮産の熊は 本年三歳とかにて 連隊長が羅南の一商人に託し飼養せしめつゝありたるものにて 極めて人に慣れ居り 来る二十七日軍隊と共に船川に着すべしという
大正3年4月25日付『秋田魁新報』より
数年間におよぶ朝鮮守備勤務を終えた十七連隊は、羅南の清津港から小さな檻に入れられた熊と一緒に、1914(大正3)年4月27日、船川港へ帰還、翌28日、秋田駅前の十七連隊本部営舎に帰営する。
◎昨日の連隊
‥‥前略‥‥
秋田市への御土産の熊は 小さき檻に入れられ 昨朝本部建物の後方戸外に置き 一般の観覧に供したるが 二歳児にして鼻孔に金の輪を下げ 物凄き声にて吠え 食を求むるさま頗(すこ)ぶる獰猛に見えたり なお目下毛代わりの時なりとて 毛皮甚(はなは)だ醜きかりしが やがて常態に復すべく 余程慣れしものと見え 檻を破りて狂い出す等のことは先づ以(もっ)て見えず
大正3年4月30日付『秋田魁新報』より
十七連隊に到着した熊は間もなく、秋田市郊外の八橋公園に移送される。
▼八橋公園の熊、人気者に
▲八橋公園周辺
日吉(ひえ)八幡神社境内を中心として、現在の八橋運動公園の一部を含む八橋公園は、大正元年から数年をかけて造成された市営公園。
◎熊の贅沢
八橋公園の熊は呼物となりて大変な人出である 市では残飯で養って居るが 子供のお客さんが林檎だとか菓子だとか与えるので 熊公甚(はなは)だ贅沢になり 残飯は勿論 パンでさえ食わなくなった そして好きな物を見せると人立ちするのが面白さに 子供らは五銭も十銭も浪費するので父兄の方(ほう)は一寸困って居るそうだ
大正3年5月13日付『秋田魁新報』より
市が用意した残飯には目もくれず、子供らが与える甘い果物や菓子に夢中になり、好きな餌を見せると “人立ち” する姿は冒頭の絵葉書そのまま。
◎熊公檻に入る
八橋公園の愛嬌ものとなりし朝鮮熊は 是迄(これまで)山王社社務所に繋ぎ置きしが 一昨日愈々(いよいよ)その檻出来(しゅったい)し 昨日より入れたるが 昨今頗(すこぶ)る元気づき よく人にも馴れ 嬉々として戯れ居れり
大正3年6月20日付『秋田魁新報』より
上掲記事中の山王社とは山王権現 を祀(まつ)る日吉(ひえ)八幡神社のことで、当神社のことを年配の人たちは親しみを込めて “山王さん” と呼ぶ。これが秋田市山王という地名の由来。
朝鮮から熊を運んだ小さな檻は、窮屈すぎて使い物にならない。冒頭の絵葉書に写る檻が完成するまでの約1ヶ月半、山王社(日吉八幡神社)社務所脇の野外に熊を繋いでいた。
人になれて穏やかな性格だったとはいえ、子供らは至近距離から餌を与えていたというのだから驚く。
八橋公園に熊が到着した当初、新聞の「読者の声」 に「熊の獣臭に反応した近所の犬たちが泣きわめいてやかましい なんとかしろ」という主旨の苦情が投稿されていた。
▲日吉八幡神社境内 三重塔の後方に旧社務所
現在の社務所は参道脇にあるが、当時、熊が繋がれていた旧社務所は三重塔に隣接していて、上掲画像のように、その古い建物が今も残っている。
◎昨今の八橋公園
・・・・・・熊下痢に罹(かか)る・・・・・・
八橋公園は毎日曜とも諸官公署員や児童の遊覧者多く 市内及び付近よりの遊覧者も絶えずあり▲園内の熊公などは何時も有難い御馳走にあずかり 御陰で去月中旬の如き食傷して下痢を起こし 是(こ)れには流石の熊公も閉口の態なりしより 機敏な番人は早くも夫(そ)れと知りて 其(そ)の後は毎日一回ないし隔日位に檻を出して運動せしめたる結果 旧に倍して頑丈となり首輪の如きも苦しそうで 第三回目の取替を要する程なるも よく群衆に慣れ親しみ 子供の如きも友達視して戯れるなど 熊公も中々シャレたものなり‥‥後略‥‥
大正3年7月12日付『秋田魁新報』より
◎もう一年になる
▼熊と猿が公園に来てから
目下頗(すこぶ)る元気にて嬉遊し居る千秋公園の猿二匹は 昨年の本月二十五日 また八橋公園の朝鮮熊は同じく二十七日に当市に着せるものなるが 殆ど満一ヶ年になりて 非常に丈夫に且(か)つ大きくなり 熊公の如きは檻前の菓子店より餌料に売り居るパンを投げ与うれば 立ちて頂戴をやり 口にて受け喰らい 奇声を発して子供を喜ばせ居れど 面白半分に缶詰めの空き殻をなげたり 木竹の折れを以(もっ)ていぢくったりする秋田の坊ちゃんには閉口すると嘆(たん)じつゝあり
大正4年4月23日付『秋田魁新報』より
“秋田の坊ちゃん” が投げ与えるエサをむさぼり、また、その悪戯に翻弄される熊。
ところで、冒頭の絵葉書に写る熊の檻は、園内のどこに設置されたのか。記事によると檻の前には菓子店があって、熊用の餌も売られていた。そのほか団子屋、掛け茶屋、酒店の出張店などが園内に点在し、植栽による迷路園も造られたが、そのお話はまた別の機会に。
八橋公園に熊がやって来たのと同時期、当時は県営だった千秋公園に、県が横浜の動物商から購入した、雌雄二匹の小猿が来園する。
昭和に入ると、民間業者が千秋公園内の一角を借りて、猿・鳥類・熊などを集めた小動物園を経営するが、数年後、県からの立ち退き勧告を受けて撤退している。
マスコット
外地にいた軍隊は隊の癒しと団結のためいろんな動物を飼っていた例が見受けられます。
短いなところでイヌやネコ。
高知の連隊はヒョウの子をマスコットにしてました。
グリップが連れたクマですと自由ポーランド軍の兵隊クマのヴォイテクが有名です。
それにしても挑戦者半島から秋田に来たクマは秋田の水が合ったようでなによりです。