秋田市楢山大元町“舌状窪地”太平川旧河道を歩く

▼楢山 “舌状窪地” のひみつ

前回のエントリー「202307秋田豪雨・秋田市楢山大元町の甚大な被害」の続編。

2023年7月中旬、秋田県で発生した大雨で多大な被害を受けた地域のひとつ、秋田市楢山大元町の “いびつな舌” のような、不思議な地形の成り立ちを探る。

まず楢山大元町の位置を、前回の記事を引用して確認。

楢山大元町 河川改修
▲地理院地図 色別標高図

秋田駅から1kmほど南方、西に羽越本線、東に奥羽本線・秋田新幹線と、ふたつの路線に挟まれ、南側に太平川が流れる、三角形地帯が楢山大元町。

金照寺山の麓を流れる太平川に接した低地が被害が大きかった地域で、上掲の色別標高図でその高低差を実感できる。

202307秋田豪雨・秋田市楢山大元町の甚大な被害より引用

▼地図と空中写真で見る大元町変遷・楢山のケツヒヤシ

すでにプログ・タイトルでネタバレしたように、この舌状窪地に沿って太平川が流れていた。

百聞は一見にしかず、まずは河川改修工事が行われる以前の太平川旧河道が描かれた地形図をご覧頂きたい。

楢山大元町 河川改修
▲大正1(1912)年惻図 昭和13(1938)年修正惻図 地形図より

北側に大きく蛇行した河道が眼を惹く。その内側にある針葉樹林の地図記号は杉林だろうか。

周辺に広がる斜線部分は「樹木に囲まれた居住地」を意味する地図記号。同地は農業を営む古来の集落で、その周囲には田園が広がっている。

太平川下流に位置する楢山地区一帯は、毎年のように水害に見舞われ、腰まで水が上がることも珍しくなかったことから「楢山の尻冷(けつひや)し」または「楢山の尻浸(けつびた)し」と揶揄されていた。その当事者である楢山衆も、幾分自虐的なニュアンスを込めて、この言い回しを使っていた。自分の父親の世代がよく口にしていた、なつかしい響きの言葉。

昭和13(1938)年、新屋浜に雄物川放水路が完成。増水した雨水を日本海に逃がすための大工事により、太平川・雄物川下流域の洪水被害は激減。しかし、太平川流域は上掲地形図のような曲折が多い上、一部の川幅が狭く、増水時の危険度が高かったため、昭和20年代に入って、数ヶ所で河川改修工事が始まった。

※雄物川放水路を含む太平川の河川改修に関連する過去記事へのリンクを文末に置いた。

楢山大元町
▲秋田市街図 昭和28(1953)年測量

楢山大元町 河川改修
▲秋田市街図 昭和30年頃

昭和20年代の後半、太平川下流の河川改修工事が始まる。

上掲市街図のように、大きく蛇行した河道をショートカットして直線化し、水流をスムーズにする河道付替工事が行われ、流路を絶たれた旧河道は、いわゆる三日月湖としてしばらくは残った。

上掲の秋田市街図2点には西側の羽越本線近くに、三日月湖を渡る橋が架けられている。この橋は河川改修・埋め立て工事のために設営されたものか、昭和28(1953)年測量の市街図には橋を渡った先に、工事事務所とおぼしき建物が描かれている。

楢山大元町 河川改修
▲昭和37(1962)年9月撮影

太平川旧河道の跡に残った三日月湖はやがて埋め立てられ、旧河道をなぞるように道路が造成された。舌状窪地の内側(旧河道内側)の標高が低かったため、それに合わせて土地を造成したものだろう。

このようにして完成した新興住宅地の、旧河道内側に住宅が建ち始め、次いで旧河道の外側にも住宅が建つが、増水時には危険度が高い低地だけに、当初の分譲価格は周辺の土地価格と比較して、かなり安価であったと想像する。

埋め立てられた旧河道の活用法として、児童公園(街区公園)に転用されるケースが多いが、市街地に近く、周囲が未開発、面積も広い同地は宅地化に適していた。

高度経済成長期にあたる昭和30年代後半、市内の急速な人口増加にともなう住宅需要の高まりを受けて、秋田市東部・秋田駅裏に広がっていた田地の宅地化が進展していた。

上掲の空中写真を見ると、河川跡の舌状窪地に出来た新興住宅地と、それを取りまく、庭木や屋敷森に囲まれて、緑濃い古来の集落との区別が際立っているが、時代が進むにつれて樹木も減少し、その区別は徐々に曖昧になってゆく。

上掲空中写真、左上の長方形の空き地は、学区の運動会、全県学童野球大会や地区の盆踊りの会場となった「宮田グラウンド」(現・南中学校グラウンド) 。その北隣り、現在は南中学校の建つ場所に「北光電球」の工場二棟が連なる。「宮田グラウンド」および「北光電球」の裏手(東側)に建ち並ぶ団地は国鉄の鉄道官舎(通称・宮田アパート)。

「宮田グラウンド」「北光電球」の前を流れる、暗渠となる以前の大堰端水路が良く分かる。

楢山大元町
▲昭和48(1973)年5月撮影

昭和40年代に入ると周辺の宅地化が進み、田園がわずかに残るのみ。集落の樹木も随分と少なくなった。大堰端の水路はすでに暗渠化済み。

楢山大元町 河川改修
▲旧河道を薄水色で加筆

楢山大元町 河川改修
▲羽越楢山踏切側から鳥観 旧河道を薄水色で加筆

▼大元町旧太平川河道を歩く

以下の画像は “2023年7月秋田豪雨” 以前の撮影。

楢山大元町
▲2009年6月

「羽越楢山踏切」の間近、舌状窪地への入口正面にあった「ならやま酒店」。坂の途中、左手のガードレール裏手に見える郵便ポストは、郵便切手類もあつかった同商店に付随して設けられたもの。本来ならば店の前にポストを置きたいところだが、そのスペースが無いためこの場所に設置された。

周辺には商店が少なく、酒類の他に食料品・雑貨なども扱う、地域住民にとって重宝な存在だったが、上掲画像撮影時にはすでに廃業していたようだ。

昭和39(1964)年の新潟地震に際して、旧河道上に位置する「ならやま酒店」と、その東側の家屋が陥没する、埋め立て地に特有の地盤災害が発生している。

楢山大元町
▲窪地への入口  右手に旧ならやま酒店 2012年6月

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▲左手に旧ならやま酒店 2012年6月

楢山大元町
▲2012年6月

楢山大元町
▲旧河道沿い道路の左手(西側)に古来の集落 2009年6月

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▲旧河道沿い道路の右手(西側)に古来の集落(Googleストリートビュー)

旧河道沿いの道から西に位置する古くからの集落を臨んだ上掲ストリートビュー。ここが蛇行した河川跡に出現した新興住宅地と古来の集落の境目。右手の車止めがある上り坂は埋め立て後に新設された小路。標高差があるY字路に心がくすぐられる。

楢山大元町
▲ 旧河道沿いの新興住宅地から古来の集落を臨む 2012年6月