八幡秋田神社焼失す

秋田市千秋公園内
一月九日午前四時ころ出火し本殿と拝殿を全焼する。

昨年の元旦
茨城の太田城に創建した佐竹家の氏神を久保田に移し、のちに初代藩主・佐竹義宣を祀る秋田神社を合併し、八幡秋田神社と名を変え内町(武士の町)の総鎮守となった。我家は佐竹家が久保田に入る以前は太平に住んでいたが、のちに佐竹の家臣のはしくれとなったため、八幡秋田神社が氏神となっている。また、竿燈祭り初日の早朝、竿燈のてっぺんに付ける御幣が渡される「御幣渡しの式」が行われる神社でもあった。

本殿
佐竹家の紋章があしらわれた、銅瓦棒葺屋根に鬼瓦

拝殿入口
秋田県有形文化財だった本殿は天保三年(1832)建立、拝殿は明治三十二年以降の建築、両社とも豊富な彫刻が施された立派な建物だっただけに惜しまれる。関係者の落胆はいかほどのものだろうか。
神社の火災といえば、平成二年の過激派による秋田護国神社(寺内)放火事件を思いだす。あのときは再建までは二年ほどかかったはず。原因はまだ発表されていないが、もし放火ならば罰当たりなことをするものだ。
-----------
二月九日追記
出火原因やはり放火だったようだ。
容疑者・三十五歳の供述によると、賽銭を盗む目的でに侵入したが、「金がなかったので腹が立った。火を付けて燃やしてしまおうと思った」という。あまりに短絡的な思考にあきれはて、もはや怒りすら湧かない。
江戸時代の職人たちが丹精込めて築き上げ、百七十年以上の風雪を耐えた建築物が、一人の馬鹿者によって焼失してしまった。たとえ新たに社殿を再建しても、その歳月を経た風格と歴史は取り戻すことはできない。
秋田八幡神社で検索しましたら
このブログにヒットしました。
花見をしながら散歩にいったことがありました。出火原因が原因だけに悔しい思いが強いです。
また、FC2ブログは私も使わせてもらっています。old-roseのテンプレートも使っていたのでブログの雰囲気が酷似してて、おまけに秋田の身近なネタが載っていてなんだか嬉しくなりました(^-^)
更新を楽しみにしています。失礼します。