ビラ撒け!軽飛行機

晴れ渡った大空のもと、低空を飛ぶ軽飛行機から放たれた無数のビラは、太陽の光を受けてキラキラと輝き、地上めがけてヒラヒラと舞い降りる。
軽飛行機の拡声器から降り注ぐアナウンスは、風にながされて、とぎれとぎれ。
風が強い日は、ビラは思わぬ方へ散り々々と、遠くまで飛んでいく。
僕らはそのビラを手にするために、かけがえのない宝物を求めるように、路地を抜け、原っぱを越え、我を忘れて走り、自転車のペダルを踏みつづけ、誰よりも多くのビラを拾い集めることに熱中し、その枚数を競った。
ビラの内容はよく覚えていないが、企業の商品広告、催し物や映画の広告などで、その中に割引券や招待券、お菓子の無料引換券のような「当たり」も、まざっていたように記憶している。
空からビラを撒くことは、非常に有効な広告手段であったが、空を見上げて夢中でビラを追いかける子どもが、交通事故にあうケースが多発し、ビラの撒布範囲が制限されたことが、『運輸白書』に記されている。
四十年代に入るとビラ撒布は姿を消し、音声のみの空中放送が残された。広告宣伝飛行は,ビラ散布,ネット曳行,空中放送などの方法による商品,催物,観光地などの宣伝等に利用されているが,ビラ散布についてはしばしば交通事故を誘発することとなるので最近においては,その散布範囲の制限を強化する措置が採られ,広告宣伝の分野からビラ散布は徐々に姿は消して行く傾向にある。
昭和三十九年度『運輸白書』より
航空機によるビラの撒布が自由に行われたのは昭和三十年代までのことだった。広告宣伝は,ビラ撒き,ネット曳行,空中放送等により始められたが,ビラ撒き,ネット曳行は事故誘発の原因ともなるところから強い制限が加えられたため,現在ではこの分野からほとんど姿を消し,最近では,これに代わつて空中放送がその大部分を占めるようになつた。
昭和四十三年度『運輸白書』より
空から降る無数のビラを、ひたすら追いかけたあの日。
たかが宣伝ビラにあんなにも夢中になれた時代。
少年たちは空に軽飛行機やヘリコプターをみつけると、大声で「ビラ撒けーー!」と叫んだ。