ライオンが殺された日・千秋公園児童動物園

秋田魁新報、朝日新聞秋田版より
十九日朝八時過ぎ、ライオンのオリを清掃した飼育係が、鍵を閉め忘れ、気がついたときには、裏手の扉からライオンが抜け出していた。
係員はすぐに秋田署と、たまたまその日は休みだった、ライオン担当の飼育員に連絡。そのころ動物園の裏、弥高神社の前で通行人がライオンのうなり声を聞き警察に通報。
ライオン係が自転車を飛ばして駆けつけたころ、ライオンは裏手の崖の上をうろつき、フェンスに体をぶつけ、ときおり吠えている。職員たちは「崖の下の住宅に行かなければいいが」と祈るばかり。
職員たちは板きれでバリケードをつくり、うしろから押すと、ライオンはフェンスづたいに歩きだし、園内の男子トイレを自分のオリと思ったのか、すんなりと入っていったため、その周囲にベンチなどでバリケードをつくる。

園内見取り図
矢印がライオンの足取り
八時二十分頃、通報を受けた秋田署では一個小隊三十人を編成、全員帯銃、パトカー二台、大型車一台。八時三十分頃現場到着、周囲の道路を封鎖。最前線の十一人はジュラルミンの盾を手に男子トイレを囲む。
八時三十分すぎ、ニュースでライオンの脱走を知った市民に動揺が広がる。周辺の家では戸締まりを固め、郊外に脱出する人も。
八時四十分頃、千秋公園の下、今の市立図書館の場所にあった明徳小学校では、秋田署からの連絡を受け、校門を閉ざし、校庭は使用禁止、校舎内から出ないようにと児童らに厳重注意。
九時三十分頃、動物園職員、秋田市第一助役、秋田署、猟友会が集まり対策会議。どうにか生かしておきたいが、麻酔銃は凶暴化する恐れがあり使えない。トイレから飛び出し、園外に逃亡されたら、通行人や住民を襲う可能性があると判断。ライフルを使えるのはここしかないと、やむなく射殺を決定。
九時四十分頃、トイレの前、ライオンから数メートルはなれたバリケードの前に、ライフルをかまえた猟友会員四人が集まり機をうかがう。近くのオリの屋根の上では、秋田署の四人がライフルをかまえる。ライオンはときどきうなり声をあげ、顔をのぞかせている。
九時四十分頃、ライオンが顔をあげたその瞬間、ミケンをねらったライフルの弾は、その頭部にに命中。ばったりと倒れたライオンは低く最後のうなり声をあげた。つづけてとどめの銃声があたりに響く。そのとき八年間ライオンの世話をつづけてきた係員は、園内の調理室でひとり耳をふさいでいた。

射殺直前のライオン・トイレの前で猟銃をかまえる猟友会員たち
秋田魁新報より
射殺されたライオンはアフリカ生まれの雄。昭和三十一年、夫婦で四十五万円で購入、来園後、四歳年上の雌ライオンとのあいだに、十三頭の子どもが生まれたが、そのうち八頭は購入代金の不足を補うために身売りされ、残りの五頭は秋田の冬の厳しさも影響し病死してしまう。
連れの雌ライオンは、前年の昭和四十四年、老衰のため死亡。それ以後、射殺されたライオンも衰えをみせ、秋も深まり気温が下がってきた最近は、今年の冬を無事に越せるかと職員を心配させていた矢先のできごとであった。
十月二十日、動物園のかたすみに、職員の手によりライオンの墓がつくられた。杉板に「ライオンの墓」と墨書し、その根元には白い石がひとつ置かれ、職員たちの知らぬまにライオンのオリの前に置かれていたロウソクと花が供えられた。

旧児童動物園・ライオンのオリ付近
オリの裏口を抜けたライオンは、右手にフェンスがある崖の上をうろつき、写真の正面にあったトイレに追い込まれた。
ライオンが射殺された旧トイレの付近に、由来不明の石組みが残されている。

これはライオンの墓の名残、もしくは、その後につくられた動物の慰霊碑の跡なのだろうか。その地下には今も、ライオンの遺骨が眠りつづけているのかもしれない。