里程元標のある風景・大町三丁目通り

秋田市大町三丁目・大正初期の絵葉書より
「赤れんが郷土館」(旧秋田銀行本店)が建つ、大町三丁目通りの大正始期の街並である。
旧町名での「大町」というのは、大町一丁目から大町三丁目までの、この通り沿いに付けられた地名で、三丁目以南は本町四・五・六丁目となる。
右手に鐘楼(火の見櫓)がある。高層建築物のない時代、これほどの高さがあれば、外町のほとんどが見渡せたことだろう。この鐘楼からは多くの写真が撮影され絵葉書としても出版されている。
子どもが遊ぶ道路の突当(通町)に、平成十年(1998)の道路拡幅工事により消えてしまった、「糸屋商店」の特徴的なファサードを、かすかに確認できる。

秋田銀行本店前の電柱が際立って大きいのは、銀行周辺の電力消費量の多さを物語っているのだろうか。
その電柱の手前、道端にあるオベリスクの如き白い標柱は「秋田県里程元標」というもの。近くに人物が立っているため、その高さが推定できるが、優に3メートルはある。

左・拡大図 右・別の絵葉書から拡大
明治六年(1873)、江戸時代の街道を元に、東京・日本橋と京都・三条大橋に「里程元標」を設置し、日本の道路の基点とし、さらに各県庁所在地に、管内諸道の起点として「県里程元標」を設置。その地点から各市町村に置かれた「里程標」までの距離を計測し記載した。
藩政期から商業の中心地であり、羽州街道沿いのメインストリートだった大町に、秋田の道路の起点が定められたのだ。
「太政官第四百十三号」の「元標及び里程標柱書式」によれば、標柱の材質は、檜(ひのき)か椴松(とどまつ)を用い、各県本庁所在地および管轄境界には、一尺(約30cm)角、高さ一丈二尺(約363cm)、各村には八寸(約24cm)角、高さ一丈(約303cm)の寸法の角材を用いる、とある。

明治八年「太政官第百九十九号」布告による書式
書式によれば、表面には「○○県里程元標 ○○県」、裏には年月、両側には次の里程標までの距離を記すように指定されているが、写真ではその文字の確認はできない。

仙台・芭蕉の辻 大正初期の絵葉書から
仙台空襲によって消滅した蔵造りの建物(横浜生命保険株式会社)の前に、「宮城県里程元標」が建っている。

部分拡大
側面には距離が記されているのが確認できる。
左手に秋田と同じような鎖付きのブロックがあるのが面白い。
芭蕉の辻は、奥州街道沿いに発展した、江戸時代からの仙台の中心商業地であり、明治以降は金融機関が集中する町となったのは、秋田市大町と同様。
大正八年(1919)、道路法が公布されたことにより、主要道路の距離計算の標として利用された「県里程元標」「里程標」は廃止となり、それに代わって石柱の「道路元標」が各市町村に設置された。
かつての県里程元標の間近、「赤れんが郷土館」の前には、「秋田県里程元標跡」の碑が建っている。


現在の大町三丁目通り
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関連リンク
道路元標写真館
道路元標が行く。
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