郷愁のかき氷屋・牛島商店街

太平川橋より牛島商店街を望む
●牛島の商店街
秋田市の牛島商店街は江戸初期、参勤交代の街道(羽州街道)として開かれ、それ以来商業の栄えた通りであり、仁井田、雄和の人々は、全ての用をここでまかなったという。
牛島の商店街は、生家からいちばん近い町、さまざまな想い出がつまった自分の原風景のひとつ。
今は消えてしまったなつかしい店をあげると、貸本屋「牛島文庫」、「鳩文堂書店」、銭湯「三皇の湯」、パン屋「三皇堂」、お菓子「甘泉堂」、文具「飛田商店」、「石川馬具店」等々。三皇神社の近くには、三皇さんにあやかってその名を冠したパン屋と風呂屋があった。
なかでも印象深いのは「石川馬具店」。革製の鞍や手綱、大きな馬鈴など、珍しいものがあふれかえり、馬具職人が働く店頭に立ちつくし、しばらくのあいだそれらを眺めるのが常であった。まだ農耕馬や馬車が現役で活躍していた時代だったから、店も継続できていたのだろう。
そして忘れてはならないのが、今も奇跡的に残っている、夏はかき氷、冬は大判焼きの店「佐々木」。看板がないので「牛島のかき氷・大判焼き」とか「牛島のババの店」と呼ばれ、大概はそれで通用する。
●夏祭りの夜はノスタルジックワールド

04.07.11 牛島のお祭りの日
昭和の遺産のような年季の入った建物は往時のまま、 ガタピシの引戸を開けて中に入れば店内も昔と変わらず、あの夏の日、兄弟と一緒に、かき氷をあわてて食べて、頭がツーンと痛くなった記憶が、蝉時雨の音とともに脳裏によみがえってくる。
あのころは、おばさんと、おばあさんの二人が働いていたが、おばあさんは亡くなり、 今はおばあさんになったおばさんが、ひとりで切り盛りしている。ちょっと頑固なおばあさんである。
普段この通りは交通量が多く、歩くのもままならないほどだが、一年に一度、牛島のお祭りの日だけは歩行者天国となる。車の通らない通りは、夏祭りという装置がタイムマシンとなって、子どものころに遊んだ、あのなつかしい、風情ある静かな街並みが現代に再現されるのだ。
陽も落ちて、かき氷屋の店頭に明かりが灯るころ、そのムードはますます高まる。約四十年ぶりにお祭りに出かけた夜、この光景を眼にして鳥肌が立った。あたかも昭和三十年代の夏の夜にタイムスリップしたかのような光景は、再現されたジオラマのような仮想現実感をともなってはいるが、夢ではなく、確かに今ここに存在しているのだ。

04.07.11 牛島のお祭りの日
●かき氷屋におつかいに
まだ冷蔵庫が高嶺の花だったころ、夏の暑い盛りの夜、この店に氷のかたまりを買うおつかいに行かされた。持参したアルマイトのボールに入れてもらった氷が溶けないように、子どもの足で十分ほどの帰り道を急ぐあまり、すっころんで氷が土まみれになったこともある。
氷はキリで砕いてタイガー魔法瓶に入れて保冷するのだが、そのころの魔法瓶の内部は今のようなステンレス製ではなく、ガラスに銀メッキを施したものだっため、乱暴に氷を入れたりすると、すぐに壊れてしまうので気をつけねばならなかった。
「渡辺のジュースの素」(粉末ジュース)を水に溶かし、氷を浮かべて飲むのが当時の楽しみであった。

魔法のランプのような当時の魔法瓶
●残したい昭和のたたずまい
今年の夏祭りの日、かき氷屋は書き入れ時だというのに、残念ながら店を閉じていた。その後すぐにはじめたようだが、なにせお年寄りが一人、マイペースで営業しているため、休みがちだったり、涼しくなって大判焼きの季節が到来しても、なかなか開店しないことも最近は多い。

こんな昭和のたたずまいを残した雰囲気のある店は、今や秋田市内では珍しく、できるだけ永く続けてほしいものだが‥‥‥。

04.01 冬の大判焼き
一昨年、久々に入ったら、小豆あんの大判焼きだけだったのが、クリーム大判と鯛焼きがメニューに加わっていた。どれも一個70円というのは秋田では最安値ではないだろうか。ちなみに、かき氷は100円からだったはず。

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