銀座街・消えた駅前小路

左右に果物屋のある銀座街入り口

銀座街店舗・昭和四十一年頃
平和食堂はその名のように平和通りにも入り口があり、中華の幸楽食堂もどちらの小路からも出入りすることができた。
秋田駅前に銀座街(初期名は銀座通り)が完成したのは昭和二十三年(1948)の秋。当時の魁新報に居住者を求める広告がある。

一コマが間口二間(約3.7メートル)、奥行二間、分譲価格は十二万円。ちなみに、この年の公務員初任給は約四千円。
昭和四十年代、多くの店舗は二戸分ほどの広さがあったと記憶している。それらは商売が軌道にのってから隣接した店舗を買うなどして拡げたものだろう。
銀座街は「たけや製パン」発祥の地。その社史によれば、手付金の六万円を払って営業を始めたものの、なかなか経営が軌道にのらず、毎月払う約束の残金も払うこともできず、大家からは立退き状が届く始末。パン屋をあきらめ転職を決意し大家を訪ねると、まだ暗いうちから必至で働く社長の姿をみていた大家から、「支払いは軌道にのってからで良い」というありがたい言葉もらい、営業をつづけることができたおかげで、今日の繁栄があるのだという。
銀座街経営者の理解がなかったら、現在の「たけや製パン」は存在しなかったのだ。新社屋がほど近い久保田町の「レストラン・ニューたけや」の場所に竣工したあとも、銀座街の方は売店として営業していた。

新聞広告・昭和二十七年
昭和の香りのする、ほのぼのとしたイラストが佳い。
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