平和通り・消えた駅前小路

川端たぬき


平和通り入り口・昭和五十年代

左手に菓子の「田村屋」、右手は玩具と書籍の「ヤマサストア」。

平和通りの完成は、隣接した銀座街と同じ昭和二十三年。一コマが間口二間、奥行一間半と銀座街より狭く、トイレは共同。二階を住まいにする店が多かったが、階段にすると場所をとるのでハシゴ段が設けられ、子供のいる家庭ではハシゴに蓋をして落ちるのを防いだという。

昭和三十三年、アーケード完成。これが秋田市初の全蓋アーケード街。

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平和通り店舗・昭和四十一年頃

「小林菓子」と「大柳洋品」の間には、銀座街の「幸楽」の裏口があった。

洋品の「かめや」は、のちに同経営の「ジーンズショップ・アベニュー」、「平和食堂」は「平和寿し」となる。

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昭和二十九年(1954)新聞広告

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昭和四十三年(1968)こどもの日 新聞広告

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「ポパイ」前より駅方面を望む

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Comments 4

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kumako
素晴らしい!

わぁ♪最初の絵の雰囲気も、最後の絵の雰囲気も、覚えています。
でもやっぱり、一軒一軒の記憶はない…
ただ、アーケードの天井を見るのが好きだったのを思い出しました。なんとなく、このあたりの天井と
名店街の天井の違いを覚えているような気がします。
ぼんやりした子だったので、天井を見上げては、母に引っ張られていたんでしょうね。

記事を読ませてもらって、改めてその狭さに驚きました。
これでは消えゆく運命だったとしても仕方ないかもしれませんが、
こんな陰影のある部分があってこその、街並だと思うんですがね…叶わぬ夢でしたね。

  • 2006/11/06 (Mon) 13:59
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ジョニー
ひよこ

なつかしいですね。
もどだば、こどもの日にひよこける店はいっぺあったすな。

たふらんけ。

kumakoさん
陰影のある味わい深い街並が消えて、明るいけれども味も素っ気もない駅前になってしまいましたね。
昨今は陰影を残した都市計画というのもあるのですが。

ジョニーさん
木内、協働社、本金‥‥。
デパートではどこでも、金魚、ひよこのプレゼントがあったすな。
あとは、金鳥園とかおもちゃ屋さんでも。

  • 2006/11/06 (Mon) 22:45
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  • 2006/11/07 (Tue) 13:19
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