末広町・消えた駅前小路
▲末広町・昭和五十年代
▲末広町・昭和四十一年頃
秋田駅前商店街にかつて存在した小路のひとつ、末広町でまず思い浮かぶのが、銀座街との角地にあった「食堂まんぷく」(通称・まんぷく食堂) の、薄汚れたバラック風のたたずまい。昭和四十一年頃の地図では末広町に二軒の店舗を構えている。
▲新聞広告・昭和五十二年
朝から酒が飲める安くてうまい「食堂まんぷく」の名物で、いちばんの人気メニューだったのは、年季の入った一人用アルミ鍋で食べる「肉鍋」。
豚肉、豆腐、野菜などの他に、汁のしみ込んだ焼麩が入っているのが特徴。県内の食堂では今もこの形式の肉鍋を提供する店があるが、この秋田流肉鍋は「まんぷく」が元祖なのだろう。
昭和五十三年、駅前再開発で取り壊されたあと、同地に「イトーヨーカドー」秋田店を核テナントとする「秋田ショッピングセンター」が完成すると地権者として入居、地下1階でカレー&うどんのコーナーを営業するが一旦廃業、のちに子息が秋田駅前の中通四丁目13-15に新店舗を建て「まんぷく食堂」を復活させるが、 平成十二年、惜しまれつつ閉店。戦後の食料難の時代から、約五十年のあいだ県民に親しまれつづけた、秋田を代表する駅前食堂の終焉であった。
「まんぷく」の筋向かいにあった「春駒食堂」は、結婚式場「イヤタカ会館」近くに移転して、現在も営業中。メニューには「肉鍋」もある。
もう三十数年前になる。祖父母と秋田市に出かけるとよく「まんぷく」に連れて行かれた。
好きなものを食わせてくれるのが常だったが、ある時祖父は勝手に肉鍋を頼んだ。子供の私が食いたかったのは多分カツ丼やライスカレーだったのだろう。ずいぶんとブーたれた記憶がある。
しかし、いざ件の肉鍋を食べてみると、当時の未熟な味覚には合わないにしろ、想像したよりずっと美味かったのを覚えている。
高校を出て秋田を離れ、味覚が大人になると、時々だがあの肉鍋の味が突然よみがえるようになった。そして、数年前にふとインターネットで「まんぷく」を検索してみたら、もう無くなってしまっていた。
自分で子を持つと、美味いからこれを食えと勝手に子の注文することがある。あのとき祖父はあの味を味わわせたかったのだろうな。
その肉鍋を食った日が、私が「まんぷく」に入った最後の日だったような気もする。