広小路から消えたお堀とホテルハワイ
消えた堀の記憶(二)

千秋久保田町 1973
まだオープンして間もないホテルハワイ駅前店。この数年後、西側後方に増築、客室を増やしている。
かつて永森館という旅館があった場所に建つホテルは、入口までのアプローチの両側に商店がある変則的な配置で、この時代には、アプローチ右手に「文具のイトウ」、左に「金田商店」があった。「文具のイトウ」は廃業し現在は空地、「金田商店」の建物は一時期、旧協働社の社員たちで営む「協働社」が使っていたが、現在はコンビニと二階に居酒屋が入っている。
「文具のイトウ」の右隣にある長屋、その隣の「キタヤパン」が入っていた長屋は今も同じだが、入居商店はここ数年のあいだにすっかり変わってしまった。通りの両側にあったアーケードも今はない。右端には堀を埋立てて建てられたガソリンスタンドが見える。広小路はまだ一方通行になっていない。一方通行の実施は昭和四十九年(1974)年七月から。
時代をさかのぼると、この一帯は穴門の堀、大手門の掘と並ぶ堀の一部であった。

明治初期
黄色のマーキングが、ホテルのおおよその地点。
広小路から手形方面へ向かう土橋を渡った通路は、防禦のために鍵型に曲り、大手門通りは小路のように狭い。

ホテル前から駅方面を望む 2006
パイプで囲まれた空地が「文具のイトウ」跡。建物が取り壊されたあと、ずっと空地のまま。その向こうの長屋が左手(北側)に向かって傾斜しているのは、明治から大正にかけて堀が埋立てられたとき、土盛りが不十分だったためで、今もそのまま凹んだ地形になっている。
奥の黒いビルは、ムラコシ時計店跡に先ごろオープンした「コンフォートホテル秋田」。
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千秋久保田町 1973
まだオープンして間もないホテルハワイ駅前店。この数年後、西側後方に増築、客室を増やしている。
かつて永森館という旅館があった場所に建つホテルは、入口までのアプローチの両側に商店がある変則的な配置で、この時代には、アプローチ右手に「文具のイトウ」、左に「金田商店」があった。「文具のイトウ」は廃業し現在は空地、「金田商店」の建物は一時期、旧協働社の社員たちで営む「協働社」が使っていたが、現在はコンビニと二階に居酒屋が入っている。
「文具のイトウ」の右隣にある長屋、その隣の「キタヤパン」が入っていた長屋は今も同じだが、入居商店はここ数年のあいだにすっかり変わってしまった。通りの両側にあったアーケードも今はない。右端には堀を埋立てて建てられたガソリンスタンドが見える。広小路はまだ一方通行になっていない。一方通行の実施は昭和四十九年(1974)年七月から。
時代をさかのぼると、この一帯は穴門の堀、大手門の掘と並ぶ堀の一部であった。

明治初期
黄色のマーキングが、ホテルのおおよその地点。
広小路から手形方面へ向かう土橋を渡った通路は、防禦のために鍵型に曲り、大手門通りは小路のように狭い。

ホテル前から駅方面を望む 2006
パイプで囲まれた空地が「文具のイトウ」跡。建物が取り壊されたあと、ずっと空地のまま。その向こうの長屋が左手(北側)に向かって傾斜しているのは、明治から大正にかけて堀が埋立てられたとき、土盛りが不十分だったためで、今もそのまま凹んだ地形になっている。
奥の黒いビルは、ムラコシ時計店跡に先ごろオープンした「コンフォートホテル秋田」。
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こんにちは。
風邪ひいていませんか?
あーーそうだっっ。
コンフォートって前何だった???
って友人と話してたんだけど、誰も思い出さなくて今にいたっていました。
自分も昔を懐かしむような人間になるとは思ってもみなかったわ。
いっつも、前はよかった…って言う親に反発していたから。
と、いいつつ、21日に楢○にオープンする大ゲーセン(そんな言い方でいいのか??)のチラシをさっき、オットと二人熟読して
「会員になろう」と決心したミーハーでした。
でも、あの建物でまた景観ががらりと変わった他に、交通量も変わりますよね…
あのあたりはうちのあたりから遠出する時に必ず通る交差点なのですが、しばらく通らないでおこうと思っています。