オバQと不二家の蜜月時代
「週間少年サンデー」で連載されていた、藤子不二雄の漫画「オバケのQ太郎」がアニメ化されたのは昭和四十年(1965)の夏。TBS系、毎週日曜日夜七時半からの放送、東京ムービーによるモノクロ作品、提供は不二家だった。
当時、秋田には民放はまだABS秋田放送(日テレ系)の一社のみであったが、TBS系の番組も多く、「オバケのQ太郎」も、TBSの本放送からまもなく放送が開始されている。

昭和四十年・秋田放送タイムテーブルから
日曜夜六時から「オバケのQ太郎」、そして、牛乳石鹸提供の「シャボン玉ホリデー」、熱血青春学園ドラマ「青春とは何だ」、九時からは、毎週ドキドキハラハラの連続の海外ドラマ「逃亡者」が始まる。これがまた次回が待ち遠しくなるほど、いいところで終わるんだよ。
この時代はほんどが一社提供で、もっと前の時代のことだ思うが、画面の下に提供テロップが常に流れていた。吹き替えの海外ドラマでは、音声と映像がズレまくってわけのわからない状態になることや、放送障害で「しばらくお待ち下さい」のテロップが延々と流れることも良くあった。
約二年間放映された「オバケのQ太郎」終了後は「パーマン」、そのあとが「怪物くん」と、藤子不二雄作品がつづき、不二家からはそれぞれのキャラクターを起用したお菓子が発売され、様々な懸賞キャンペーンが展開されていく。

昭和四十一年(1966)「週間少年サンデー」
お菓子のパッケージ百五十円分を一口で、毎週五百名にオバQ賞「オバQラジコン」。P子賞は毎週一万名に「オバQマーチ」ソノシート。

昭和四十一年(1966)「週間少年マガジン」
多忙な漫画家にかわって広告会社の社員が代筆したとおぼしきオバQには、オリジナルにはないまゆ毛が書き込まれていて、なんとなくおまぬけ。
こちらは葉書にオバQの絵を描いて応募する、商品を買わなくても参加できるオープン懸賞。一人で何枚送ってもよい。
特賞が家族づれ十名様(二人一組を五組)をケニア自然動物園ご招待。一等「オバQパンチミー」(大型起き上がり人形)一万名、二等「オバQエハガキセット」一万名。
ケニアへはオバQの代理として藤子不二雄(安孫子、藤本両氏)が同行、みんなで一緒に「オバQ音頭」を踊ったという。この年の同じオープン懸賞に「Qちゃんといっしょにおとぎの国デンマークへ行こう」というキャンペーンもある。海外旅行なんてまだ夢の夢の時代の豪華懸賞である。

明治マーブルチョコのパクリのようなこのチョコレート。食べ終わったら駄菓子屋にあった「浮き玉」のようにして遊べる、おまけ付きアイデア商品だったが、遊んでいるうちに空気もれが発生して、いくら吹いても玉が浮かばず、すぐに捨ててしまった記憶がある。
夏が近づくと「オバケのQ太郎」のエンディングが、櫓の下で盆踊りを踊るオバQたちのアニメに変わり、バックになんとも能天気な歌詞の「オバQ音頭」が流れた。
♪キュッキュキュのキュ(アソレ!)
♪キュッキュキュのキュ(コレマタ!)
♪オバQ音頭で キュッキュッキュッ
♪空は晴れたし ホイ オバQ 悩みはないし ホイ オバQ‥‥‥
不二家のハイカップ(カルピスに似た甘い濃縮飲料)の王冠に切手二十円分を同封して送ると、もれなく「オバQ音頭」のソノシートが貰えるキャンペーンがあった。

ペコちゃんの振り付けイラストの入ったソノシートは、不二家が幼稚園などに無料配布したこともあって、たちまちのうちに全国に浸透。四十年以上たった今でも八月になればどこからか聞こえてくる、盆踊りの定番ソングになった。

昭和四十一年(1966)新聞広告
秋田市産業会館ホールで開催された「オバQこども大会」。プログラムは「オバQ主題歌」「オバQ音頭・竹部バレー団」「腹話術・南三郎」「映画・オバケのQ太郎〈2本〉」。その他「藤子不二雄先生のオバQ書き方指導もあります。」
昭和四十六年(1971)オバQがカラーアニメ「新オバケのQ太郎」となって、日テレ系毎週水曜七時半に帰ってきた。オバQの声優が変わり、提供は不二家とプリマハムの二社になっていた。
当時、秋田には民放はまだABS秋田放送(日テレ系)の一社のみであったが、TBS系の番組も多く、「オバケのQ太郎」も、TBSの本放送からまもなく放送が開始されている。

昭和四十年・秋田放送タイムテーブルから
日曜夜六時から「オバケのQ太郎」、そして、牛乳石鹸提供の「シャボン玉ホリデー」、熱血青春学園ドラマ「青春とは何だ」、九時からは、毎週ドキドキハラハラの連続の海外ドラマ「逃亡者」が始まる。これがまた次回が待ち遠しくなるほど、いいところで終わるんだよ。
この時代はほんどが一社提供で、もっと前の時代のことだ思うが、画面の下に提供テロップが常に流れていた。吹き替えの海外ドラマでは、音声と映像がズレまくってわけのわからない状態になることや、放送障害で「しばらくお待ち下さい」のテロップが延々と流れることも良くあった。
約二年間放映された「オバケのQ太郎」終了後は「パーマン」、そのあとが「怪物くん」と、藤子不二雄作品がつづき、不二家からはそれぞれのキャラクターを起用したお菓子が発売され、様々な懸賞キャンペーンが展開されていく。

昭和四十一年(1966)「週間少年サンデー」
お菓子のパッケージ百五十円分を一口で、毎週五百名にオバQ賞「オバQラジコン」。P子賞は毎週一万名に「オバQマーチ」ソノシート。

昭和四十一年(1966)「週間少年マガジン」
多忙な漫画家にかわって広告会社の社員が代筆したとおぼしきオバQには、オリジナルにはないまゆ毛が書き込まれていて、なんとなくおまぬけ。
こちらは葉書にオバQの絵を描いて応募する、商品を買わなくても参加できるオープン懸賞。一人で何枚送ってもよい。
特賞が家族づれ十名様(二人一組を五組)をケニア自然動物園ご招待。一等「オバQパンチミー」(大型起き上がり人形)一万名、二等「オバQエハガキセット」一万名。
ケニアへはオバQの代理として藤子不二雄(安孫子、藤本両氏)が同行、みんなで一緒に「オバQ音頭」を踊ったという。この年の同じオープン懸賞に「Qちゃんといっしょにおとぎの国デンマークへ行こう」というキャンペーンもある。海外旅行なんてまだ夢の夢の時代の豪華懸賞である。

明治マーブルチョコのパクリのようなこのチョコレート。食べ終わったら駄菓子屋にあった「浮き玉」のようにして遊べる、おまけ付きアイデア商品だったが、遊んでいるうちに空気もれが発生して、いくら吹いても玉が浮かばず、すぐに捨ててしまった記憶がある。
夏が近づくと「オバケのQ太郎」のエンディングが、櫓の下で盆踊りを踊るオバQたちのアニメに変わり、バックになんとも能天気な歌詞の「オバQ音頭」が流れた。
♪キュッキュキュのキュ(アソレ!)
♪キュッキュキュのキュ(コレマタ!)
♪オバQ音頭で キュッキュッキュッ
♪空は晴れたし ホイ オバQ 悩みはないし ホイ オバQ‥‥‥
不二家のハイカップ(カルピスに似た甘い濃縮飲料)の王冠に切手二十円分を同封して送ると、もれなく「オバQ音頭」のソノシートが貰えるキャンペーンがあった。

ペコちゃんの振り付けイラストの入ったソノシートは、不二家が幼稚園などに無料配布したこともあって、たちまちのうちに全国に浸透。四十年以上たった今でも八月になればどこからか聞こえてくる、盆踊りの定番ソングになった。

昭和四十一年(1966)新聞広告
秋田市産業会館ホールで開催された「オバQこども大会」。プログラムは「オバQ主題歌」「オバQ音頭・竹部バレー団」「腹話術・南三郎」「映画・オバケのQ太郎〈2本〉」。その他「藤子不二雄先生のオバQ書き方指導もあります。」
昭和四十六年(1971)オバQがカラーアニメ「新オバケのQ太郎」となって、日テレ系毎週水曜七時半に帰ってきた。オバQの声優が変わり、提供は不二家とプリマハムの二社になっていた。