関根屋旅館・秋田駅前旅館の時代・駅弁の関根屋

川端たぬき


関根屋旅館 明治四十年・書籍広告

秋田停車場(駅)開業の前年、明治三十四年に創業した「関根屋旅館」は、秋田市の駅前旅館を代表する旅館で、広告文に「鉄道構内物品販売兼業」とあるように、その初期から旅館業のほかに弁当類を製造し、駅構内で販売していた。

明治四十四年の『旅館要録』には、「開業明治三十四年。和風二階建客間十八。宿料六十銭八十銭一円。兼構内すし雑貨販売」とある。

20070612203852.jpg
関根屋旅館・大正末期

大正十年頃に建てられた「関根屋旅館」の洋風建築。

20070612203841.jpg

旅館前にはフォードのタクシーが停車し、かたわらに「富樫自動車営業所」の看板。

20070612203831.jpg
関根屋旅館より秋田駅を望む

旅館の玄関の上に設けられたバルコニーからの眺め。駅舎は昭和三十五年まであった先先代のもの。

「関根屋旅館」があったのは、現在の駅前広場。

20070612203812.gif
秋田駅前地図・大正十五年頃

この時代、九軒の旅館が建ち並び、「関根屋旅館」の隣には、県内初のタクシー業「佐々木自動車」の出張所、四軒の運送店などが営業し、ヨーカドーが建設されるまで同じ場所にあった、信太商店、旅人宿信濃屋(後の信濃屋旅館)、天龍製鋸の名もみえる。

「信濃屋旅館」は旅館廃業のあと、「花だんご信濃や」と名を変えて団子屋に転身、ヨーカドーの地下に出店したが、今は広面に移転。

20070612203802.jpg
秋田駅前周辺
吉田初三郎「秋田市鳥瞰図」より・昭和初期

中洲のような形状の「関根屋旅館」一帯は、大東亜戦争も終盤を迎えた昭和二十年、建物疎開のため、ことごとく撤去されて更地になってしまう。

終戦後、駅前広場の周辺には、青空マーケットやヤミ市が自然発生し、昭和二十三年になると、広場の緑化整備が始まる。

建物疎開で解体された「関根屋旅館」は「信濃屋旅館」の北隣に移転。旅館を廃業後「関根屋」と改称、弁当と仕出し専業となり、駅弁の製造販売を継続して今に到る。

最近使われている「関根屋」の駅弁の掛紙には「秋田駅とともに百余年」の文字が印刷され、明治から続くその歴史を物語っている。

-----------

関連記事

秋田駅前・1970年代初頭

関連リンク

今月の特選駅弁・秋田駅「日本海鰰すめし」:るるぶ.com
今月の特選駅弁・秋田駅「秋田比内地鶏こだわり鶏めし」:るるぶ.com

駅弁東北[駅弁の小窓]
なつかしい駅弁掛紙の画像も

Comments 1

There are no comments yet.
-
管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

  • 2007/06/15 (Fri) 15:01
  • REPLY

Trackbacks 1

Click to send a trackback(FC2 User)
この記事へのトラックバック
  •  花だんご信濃や 1本100円・10種類
  • 秋田中央ICへ向かう道路の道路沿いにあるコンテナハウスのような対面式のおだんご屋さん「花だんご信濃や」さん。店頭の電光掲示板に流れている「1本100円10種類」という文字がいつも気になっていました。...
  • 2007.11.10 (Sat) 13:07 | こまちドーナツ