モノクロに始まる藤城影絵の記憶

川端たぬき

今年で創作活動六十五周年。八十歳を越えてなお現役の影絵作家・藤城清治の版画展が、秋田西武地下で開催中。



秋田西武
藤城清治 秀作版画展
6月12日(火)~18日(月)
最終日は午後4時にて閉場

藤城清治サイン会
6月16日(土)
午後1時30分~3時

メインは複製のレフグラフ版画だが、肉筆スケッチのほかに、数点のオリジナルの影絵も展示されている。

カミソリを使いカラーフィルターを切り描く藤城の影絵は、芸術というよりも職人の仕事に近い。誰も到達することのできない人間国宝級の技を持った職人の。

藤城の影絵をはじめて見たのは、昭和三十年代のNHKテレビ、もちろん白黒テレビの時代、番組は「鶴の恩返し」かなんかの童話か、「みんなのうた」だったと思う。

大きな目玉の妖精や小人が登場する、夢のような影絵世界は、モノクロでも充分に魅惑的であった。影絵は光と影で造られる世界だから、それは影絵本来の魅力であったのだが、やがて我家にカラーテレビが到来し、そこに映し出された、ステンドグラスを連想させる藤城影絵の多彩さに眼を見張った。

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1973「宇津救命丸」CMより

昭和三十六年(1961)には、等身大のぬいぐるみ人形劇をメインにした「木馬座」を立ち上げる。

昭和四十一年(1966)十一月、日本テレビ系で自主提供による「木馬座アワー」放送開始。藤城清治が自ら番組スポンサーとなり、プロデューサー、演出、出演までこなす大活躍。月曜から土曜日まで二十分の帯番組で、秋田放送ではPM5:15から放映されていた。

この番組から生まれたスターが、かえるの着ぐるみのキャラクター「ケロヨン」。

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「ケロヨン」はまたたくまに人気者になり、そのセリフ「ケッロヨ~ン」「バッハッハ~イ」は流行語になる。昭和四十年代初頭は、玩具から日用品まで「ケロヨン」のキャラクターグッズが世にあふれた。

ちなみに薬屋の店頭にあるカエルのマスコットを「ケロヨン」と勘違い人が多いが、あれは「ケロちゃん」という名のコルゲンコーワのキャラクターで、「ケロヨン」とは全くの別物である。

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関連リンク

藤城清治 影絵の世界

昇仙峡 影絵の森 美術館

藤城清治のピンクのポルシェ・愛車物語(読売新聞)

「ケロヨン」の『木馬座アワー』の検証?(禁断のハイブリッドマニアック)

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