楢山かまくら

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楢山かまくら・秋田市楢山太田町(旧・太田沢)

金照寺山の麓、太田沢に古くから伝わる「楢山かまくら」は、明治四十四年、祭りの最中に火災が発生し、警察から行事の中止を命じられ、以後六十年以上も中断されていたが、昭和五十年、地元の有志により復活した、かまくらの原形を今にとどめる小正月の行事。

板を枠にして方形に雪を積みあげ、踏み固め水をかけて凍らせ、丸太で屋根の骨組みを造り、藁で葺いて完成となる。入口はムシロを下ろし、古くは婦女子は入れず男性だけが入ることが許された。内部の奥の正面には、水天宮と、後三年の役で武勇をはせた鎌倉権五郎を祭る祭壇が設けられる。

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かつては、祭りの期間中、子供らは、かまくらを根城に集まり、木製のホラを吹き鳴らすものをしたがえ、部洛内を練り歩いた。柳の木を削った80センチほどのホタキ棒をそれぞれが持ち、若い女性が通りかかると、その棒で尻を叩いたり、腰の辺りをつつきながら「男ボッコもぢゃがれ」(元気な男の子が授かるように)と唱え言をする。あまりのしつこさに、女たちは小銭を施し子供をなだめたという。村内の初嫁の家などにも同じように押しかけ、ホタキ棒で祝福する。

七日間の行事の最終日には、屋根に使用した藁をたばねて火をつけ振り回す「火振り」も行われたが、現在はかまくらの中で使用した藁を焼くだけで、火振りは行われない。

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たまくら

“かまくら”の語源

たふらんけ さん はじめまして
かまくら、、、もとい^^; たまくらと申します。今後とも、よろしくお願いいたします。

さて、「楢山かまくら」ですが、秋田市にもこのような行事があったとは今まで知りませんでした。
とても興味をひかれる内容です。

そもそも「かまくら」の語源には諸説あるようですが、そのなかの一説に「後三年の役の英雄鎌倉権五郎にちなむ説」というのがあり、ちょっと不思議に思っていたのですが、たふらんけさんの解説を読み納得した次第です。

これからも市内の不思議情報?をお願いしますね。^^

2005.02.15 Tue 11:56
たふらんけ

かまくら語源

たまくらさん はじめまして。

明治ころまでは秋田市内にも、カマクラ行事が各所に残っていたらしいのですが、ほとんどが廃れて、現在では楢山と、仁井田の火振りカマクラぐらいでしょうね。

カマクラの語源は、神の座す所「神座・カミクラ」、カマドの形に似ているため「竃蔵・カマドクラ」などありますが、「鎌倉権五郎」「鎌倉大明神」などは、語呂合せにすぎないのではと思います。そういえば、「鎌倉幕府」語源説もありました。

古い形のカマクラを見ると、カマドに似ていて、その中ではドンド焼きをやったりしますから、自分は「竃蔵・カマドクラ」説を取りたいですね。

2005.02.15 Tue 23:40
たまくら

解説ありがとうございます

昔は秋田市内でもカマクラが行われていたんですね、なるほど~なぁ。
私はカマクラとは、てっきり県南地方の行事だと思ってました。^^;

考えてみれば、県内各地に残っている小正月行事とは、さしたる娯楽のなかった時代、半年あまり雪に閉ざされる人々の溜まったストレスを発散させる場だったんでしょうね。

P.S
こちらへリンク張らさせてもらってもよいでしょうか? ^^

2005.02.16 Wed 00:27
みつうま

かまくら

こちら(京都)に来て地蔵盆の風習に不思議な感じを抱いていたが、秋田にも子供達が集う風習があったのですね。
京都の各町内には必ずと言っていいほどお地蔵さんがあってお盆過ぎには各町内そのお地蔵さんの元に集まり「数珠回し」や昔ながらの紙芝居、くじ引き等がもようされているようだ。秋田では確かに小正月の行事があったような記憶があります。
しかしあまり覚えてないのです。
「かまどくら」横手のかまくらはそういえば京都の町屋に残る
「かまど=おくどうさん」と同じ形をしているんですね、なにやら興味が湧いてきました。京都の八瀬のかま風呂とも似てますわ!!

2005.02.16 Wed 00:38
たふらんけ

たまくらさん
リンクは御自由に……

みつうまさん
横手のかまくらもは屋根が無いカマド形のものがあったらしいです。

2005.02.16 Wed 19:10